川村イカンノ、金太郎親子の消息!
ピアソン会理事 玉置 義弘
四年前、ピアソン便りにピアソン夫妻のもとで働いた川村イカンノさんについて書きましたが、今年になって、イカンノさんと共にピアソン邸に住んだ息子の金太郎さんのお孫さんと連絡を取ることが出来ました。
以前に、帯広にある「十勝の活性化を考える会」のブログでピアソン便り(第78号1頁、筆者文)のイカンノさんの記事を取り上げていただき、それを偶然見たお孫さんが、昨年の8月にブログのコメント欄に「こんにちは。金太郎の孫です(実は孫がいっぱいいますが)たまたまこの記事に行きつき、思いがけず祖父と曽祖母に出会えて感激しました。二人共に恵庭の墓地に仲良く眠っています。この度はお話を取り上げて頂きありがとうございました。」という書き込みがあり、この書き込みを書いた方と何とか連絡を取りたいと思っていたところ、今年になってピアソン記念館にお孫さんから連絡があり、金太郎さんについてのお話しを電話で聞くことが出来、その時に聞いたお話しをピアソン便りに掲載することを快く承諾していただきましたので今回書かせていただきます。
イカンノさんと金太郎さんは恵庭市に住んだようです。金太郎さんには長男、次男、長女の3人の子供さんがおり、今回連絡を下さったのは恵庭市出身で埼玉県在住の長男の息子さんでした。長男と次男の方は亡くなられましたが、長女と長男、次男の奥様は恵庭市にご健在との事です。特に長女の方は金太郎さん宅の隣に十数年暮らしていたので、イカンノさん、金太郎さんについて一番詳しいとの事でした。恵庭市にはイカンノさんと金太郎さんのお墓があり、お孫さんが小学生の時にあった金太郎さんの葬儀の様子をはっきりと記憶しているとのことでした。
写真/ピアソン邸花畑で客人を迎えての写真。後列向かって左2番目がイカンノさん(右側はイカンノさんの姪)。前列左から2番目が金太郎さん。
ピアソン夫妻の帰国後、金太郎さんとイカンノさんがいつ北見を離れたか、また帰国後のピアソン夫妻との交流はあったかは、長女の方が解るかも知れないとのことでした。金太郎さんはイカンノさんの養子になっているのですが、その経緯なども長女の方がわかるでしょうとの事。また金太郎さんには、「熊之助」さんという弟がいたと教えていただきました。
小池創造牧師が50年前に出版された「田舎伝道者」では、金太郎さんは端野町で砂利運搬業をしており、先年(1966年)、交通事故で亡くなられたと聞いていると書いていますが、お孫さんの話では、金太郎さんはピアソンさんの計らいで札幌工業学校に進んだ後、川村力子卜さんに旭川の「川村力子トアイヌ記念館」を継がないかと言われたが、「自分はサラリーマンになりたい」とトラックを買って運送業を始めたと聞いていると話してくれました。当時としては珍しい外国製のトラックを持っていたそうです。「なぜ交通事故で死んじやったんでしようね?」とお孫さんは不思議がっていましたが、これは私も同感です。
また金太郎さんのひ孫にあたる方が、札幌工業高校(旧札幌工業学校)に在学しており、昨年(2021年)の第32回全国高等学校ボクシング選抜大会ミドル級で優勝しています。金太郎さんのお孫さんは、ちょっと自慢できるんですとおっしやっていましたが、全国大会で優勝とはすごいですね。
金太郎さんとイカンノさんについて、まだまだ知りたいことが沢山あるのですが、今後もご協力いただけるとの事なので、また新たな事や詳しい事が解ればピアソン便りで報告いたします。