十勝の活性化を考える会

     
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比較と差別

2021-07-06 05:00:00 | 投稿

 私たちは他人と比較しながら生きているのではないだろうか。人間には能力や外見など合理的あるいは非合理的な様々な違い(差)があることは否めない。例えば、知識が豊富だとか、背が高いとか、美人だとかなどである。大切なことは、その事実(差)を認めたうえで排除しないことである。この排除が、ある時は学校のイジメや会社のパワハラなどにつながり、あげくの果てに自殺に追いやることにもなり、私の知人もそれが原因でたくさん自殺している。

自殺で思い出すのは、作家三島由紀夫は東京都市ヶ谷にある自衛隊駐屯地のバルコニーで辞世の句を読んで割腹自殺したものである(享年45歳)。彼の友人が特攻隊員で死んだからであろうか、三島の作品には常に自殺を意識していたフシが感じられ、特に金閣寺などに感じられる。三島由紀夫の名言に、「人間は何のために生きるのか分からない。だから、生きられるのかもしれない」とあるが、生きる意味が分かったからこそ自殺したのかも知れない。

また私たちは、つもりで生きていることが多い。たとえば、知っているつもりとか、覚えたつもりなどである。私は認知症なので、覚えたつもりだがすぐに忘れる。齢をとったら忘れるのは当たり前だが、病気なので齢をとらなくてもすぐに忘れる。

このつもりのことであるが、最近、気になることがある。人は、どこかで聞いたことがあると良くいうが、その中身を聞くと詳しくは知らないという。これは確かに聞いたが、詳しく知らなければ聞いたことにならないのと同じで、はじめから知らないと言った方が良いのではないだろうか。読んだつもり聞いたつもり見たつもりなど「つもり」はたくさんあり、読書、新聞、テレビにしても、知識・情報を蓄積するのが目的であるが、実際に経験することも重要である。そのため、現場に赴き現物を取って現実を知るという三現主義を大切にしている。

百聞は一見に如かずという諺があるので、現場に行って現物を見るようにしているが、聞くと見るとは大違いのことが時々ある。嘘も方便であるが、時と場合にもよるがウソはつかない方が良いと、最近の政治家を見ながら思っている。

ところで、人間は他の動物と同じように馬が合うと合わないがあるので、すべての人が仲良くなるはずがない。従って、気が合う同士が付き合っていくことになる。ただ、この人間同士のつながりが新型コロナ禍のソーシャルディスで希薄になっており、この傾向は新型コロナ禍が過ぎ去ってもなくならないだろう。なぜなら、日本の人口は高齢化などの理由で減り続けて会が減少しているからで、自分も半数の会を退会しているのが実態である。

ところで私が高校に入学した時、1週間でクラス全員の名前を覚えたので、自慢げに自宅に帰って父親に話したところ、「そんな理由で高校に入れた覚えはない」と一喝されたことがある。孫からそんな話をされると私は即座に褒めるだろうが、そんな親は今ではいないだろう。世の中、自己中心的な人が多くて他人を愛せずに、そのために結婚もせず、現代病のひとつと言えるかもしれない。

先日の新聞記事を読むと、ある仏教学者が、「わたしたちは、利他的であることによって全員が利益を得ることができる。それがコロナ危機の教訓の一つなのだ」と書いていたが、考えさせられる記事である。

「十勝の活性化を考える会」会員T

注) 三現主義

 

問題解決するときの1つの姿勢。「現場」に出向いて「現物」に直接触れ、「現実」をとらえることを重視する。 生産分野においてとくに重要とされてきたもので、日本の高度経済成長を支えた精神として認識されることもある。空理空論を展開するのではなく、3つの「」にアプローチすることは、あらゆる領域問題解決において共通して重要である。

 

(出典:コトバンクより)


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