十勝の活性化を考える会

     
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生きる意味

2021-01-20 05:00:00 | 投稿

 

学生時代、空手部に属しており、先日、部のホームページを久しぶりで見た。部員の顔写真に加えて、創部以来の部誌も載っていた。先輩たちの部への思いや取組み姿勢が赤裸々に綴られており、頭をかち割られた思いがした。

創部は戦後、日本の高度経済成長期の始まりの時で、部誌には部員たちの“生きる意味のことなどが書かれており、考えさせられた。昔の人たちは生きるということに真剣に取り組んでいたのが分かる。安保闘争や学生運動も、その気概だけは無垢で混じりけの無いものであった。空手部の部員は、自分が知っているだけでも四人の部員が自殺しているが、みんないい人ばかりであったので極めて残念である。

 

三島由紀夫氏や川端康成氏は国を憂い、覚悟の自殺だったかも知れないが、私のような死にかけた人間にとっては、命はひとつしかないので大切にしてもらいたいと、しみじみ思う。

昨年、「生きる意味の探し方」と題した講演を聞いてきた。講師は、東工大教授の「上田紀行氏」で、同氏は若い時に様々な挫折を経験しており、人間は挫折して初めて、生きる意味が分かってくると語っていた。

また、私と同じく脳出血を罹患し一旦、挫折した人がいるが、脳出血を罹患したことで、一人では生きられないことを悟り、第二の人生をスタートしている。 彼は有名大学を出たにもかかわらず、人間は自分らしく謙虚に尊厳を持って生きることが大切だという。

尊厳とは、尊くておごそかで掛けがえのないことをいう。人間の尊厳を尊重するということは、人間として存在していることをかけがえのない価値として、大切にすること意味する。

また、尊厳死とは一個の人格としての尊厳を保って死を迎えることをいうが、いわゆる“プライドを持つということは、自分らしく尊厳を持って生きることである。肩書などを失うとタダの人になってしまうプライドは、真のプライドとは言えないと思う。

 

私はサラリーマンだったので、組織の中でいろいろな人を見てきた。気の合う人、気の合わない人、神経の細やかな人、大雑把な人、プライドが高い人など、まさに十人十色である。

その中でプライドが高い人の中には、誰もが憧れるような素敵な人もいれば、問題が多い人もいる。プライドは、自分を強くしてくれる大切なものであるが、プライドばかりが高くなって信頼を失う人も少なくない。

そもそもプライドとは、「自尊心」や「誇り」のことであり、他人より優れていることを誇りに感じる気持ちや、能力が認められて「自分は優れた人間だ」と思うことは大切なことであるから、プライドを持つことは決して悪いことではない。

 

しかし、プライドばかりが高くなると、自分自身を過大評価したり周りが見えなくなったりする人が多く、プライドを保つために優位に立とうとするあまり、人間関係がギクシャクしてしまうこともある。

プライドが高い人は、自分に対する評価が人一倍高いため、「自分が正しい」と思う傾向があり、何かと意見されることや否定されることを嫌い、口には出さなくても態度に表すこともよくある。何もプライドに傷が入るのではないと思うのだが・・・・。

 

また、組織では昇進を狙って揉み手や忖度する人がいる。逆に言えば、そのようにしなければ昇進などは、おぼ付かないのである。プライドが高くなる原因や心理は、何だろうと考えている。

プライドが高くなるのは、性格だけでなく生まれ育った環境や体験にも関係していると思うが、プライドが高かったばかりに寂しい人生を過ごす人もたくさん見てきた。

 

一方、限りない挫折を経験した上田紀行教授は、プライドに関して、以下のようにも言っていた。 『プライドは、他人との比較にとって生ずることが多いが、比較してはいけない。世の奥様がたは、自分の子供を学校の成績のみで判断する傾向があるが、意味のないことである』と。

子供を服従させるような親のもとで育った人は、ゆがんだ価値観が植え付けられ、プライドの高さを受け継ぐことがある。プライドの高い人は、自分の意見が絶対であり、否定されると相手が折れるまで反論し続け、相容れなければ敵とみなす人もいる。

考え方を少し変えることによりプライドが不要なものであると気づけば、身近にいる人のことも大切にでき、彩りのある人生を送れるはずである。視野を広げれば、自分よりも優れた人がたくさんいることにも気づき、自分が持っているプライドが、取るに足らないものだと分かってくる。

空手の話に戻そう。空手は鍛え抜いた素手や素足で、お互いに打ち合あう武道で、柔道のように体重別は無いから、私のような身長の無い者(163センチ)にとっては、寸止めルールはあるものの常に緊張感が抜けず、人一倍練習に励んだ.

空手では、稽古前に道場に入るときや稽古を終えて道場を退出する際など、至るところに礼儀作法がある。もちろん、道場外での振る舞い方についても、礼儀作法が定められている。それゆえに「空手は、礼に始まり礼に終わる」といわれる武道で、空手道によって常に、自らをいましめるのである。だから私は、空手に関するプライドを持っているつもりでいる。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 上田紀行

上田 紀行は、日本の文化人類学者東京工業大学教授。専門は文化人類学。特に宗教癒し、社会変革に関する比較価値研究。学位は医学博士

東京都出身、東京大学教養学部文化人類学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科文化人類学専攻博士課程単位取得退学。

1993年から1996年まで、愛媛大学助教授。1996年4月より東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻准教授、2012年2月に東京工業大学リベラルアーツセンター教授となる。東京大学助教授(2003~2005年)を併任。

母は翻訳家の上田公子。妻はアナウンサーの武内陶子春風亭小朝は従兄弟。

[著書]

  • 『宗教クライシス』(岩波書店、1995年)
  • 『癒しの時代をひらく』(法蔵館、1997年)
  • 『日本型システムの終焉―自分自身を生きるために』(法蔵館、1998年)
  • 『がんばれ仏教!』(NHK出版、2004年)
  • 『生きる意味』(岩波書店、2005年)
  • 『「生きる力」としての仏教』(PHP新書、2006年)
  • 『かけがえのない人間』(講談社現代新書、2008年)
  • 『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書、2010年)
  • 『慈悲の怒り―震災後を生きる心のマネジメント―』(朝日新聞出版、2011年)
  • 『人生の<逃げ場> 会社だけの生活に行き詰まっている人へ』(朝日新書、2015年) 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』)

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