人間の自由とは如何なるものであろうか。ロシアや中国は共産主義国家であるから、自由主義国家である日本に比べて自由がないだろう。
人間は、思想の自由や宗教の自由など様々な自由を保持しているが、人間は社会的な動物であるから一定の義務を果たさなくてはいけない。そうでなければ、それぞれにふるまえば、人間はまとまることができない。今のようなコロナが感染拡大しソーシャルディスタンスで人と人とのつながりが薄れている時には、尚更だろう。
話は変わるが、ウクライナ軍がロシアとの戦争で予想に反して戦況を巻き返している。その理由のひとつに、人間の結束力があると思う。人間は、一大事になると“火事場のバカ力”といわれるように、数倍の力を発揮することがある。
ウクライナの歴史を見ると、キエフ王国から分離したのがロシアであるから、いわばウクライナが兄貴分で弟分がロシアである。ウクライナ人にとって、国や価値観を守るために命をなげうって戦っているのである。それをプーチンは、過小評価していたのではないだろうか。人とのつながりはいつの時代にも必要で、人間の自由は平和があってもたらされることを、今回の戦争は示しているように思う。
ところで、私は11歳の大型犬“ゴールデンレトリバー”を飼っている。朝と夕方に、10キロ離れた川原で、首からリードをとってから散歩させている。犬にも、犬の権利があり自由が欲しいのである。犬は水を飲むために8メートルほどの崖を登ったり下りたりして健康を維持している。
犬にとってリードされるということは、奴隷につけられた鎖のように自由を奪うものと思っている。
先日、ラジオを聞いていたら動物愛護の国“ドイツ”では、人間の子どもと一緒で犬にしつけやマナーを学ばせ、訓練したうえで犬を放し飼いしているところがあるらしい。 “可愛い子には旅をさせよ”といわれるが、子どもにも世の中の辛いことや苦しいことを経験させることが大切であると思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員
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