十勝の活性化を考える会

     
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奥の細道

2021-07-18 05:00:00 | 投稿

奥の細道”とは、元禄年間(1688 - 1704年)に活躍した俳人松尾芭蕉の紀行及び俳句集。武蔵国(現在の群馬県、栃木県)から、常陸国や陸奥国、北陸道、美濃国(現在の岐阜県)までの旅で、全行程が約2400キロ、日数が約150日間で東北・北陸を巡っているから、1日で16キロ歩いたことになる。芭蕉の知っている俳句は、次の三句である。

『 夏草や兵どもが 夢の跡 』 

『 古池や 蛙飛び込む 水の音 』

『 荒海や 佐渡に横たふ 天の川』 

最初の俳句が詠まれた場所は岩手県平泉で、平泉は“エミシ征討”が行なわれており、殺されたエミシにとってはさぞかし無念の死であったろう。三つ目の句は、新潟県で読まれた俳句である。新潟県には大曲市、土浦市と並ぶ日本3大花火大会が開催される長岡市がある。大和朝廷が征服していたのは長岡あたりまでであり、有名な征夷大将軍“坂上田村麻呂”がエミシ征討で出発した地点でもある。また、新潟市内には、沼垂(ヌッタリ)というアイヌ語の元港町商店街があり、アイヌ(エミシ)がむかし住んでいたことが分かる。

二つ目の句は、何処で詠まれた俳句か分からないが、何となく私が住んでいた

京都の情景が浮かぶようである。なお、私の父親は60年間にわたり俳句をしており、俳号が“井蛙(せいや)”といった。井戸の蛙で、名前のとおり大海を知らない男であったが、「井戸の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る」という言葉もある。

ところで、奥の細道は、東北地方は岩手県までであったが、その上に青森県があり、その昔、陸奥国といって、漢字で陸の奥(みちのく)と書く。すなわちエミシが住んでいた外地で、 “辺境の地“であった。青森県は、リンゴで有名な県でもある。白いリンゴの花が咲く春、そして真っ赤に実ったリンゴ収穫の秋、そして冬は新田次郎著、“八甲田山 死の彷徨”にも書いているとおり、雪が激しく降るところでもある。

みちのく“のことであるが、長年にわたりトップバンクの座をめぐり競争してきた青森銀行とみちのく銀行が、経営基盤を強化するため2024年に合併するそうである。両行のトップが強調したのは、地域経済の厳しさ、そして地域のための統合だという。2行が地盤とする青森県は、人口減少率が秋田県に次いで全国ワースト2位で、2045年には大正時代(1925年)と同程度の規模にまで人口が減少すると見込まれている。

「十勝の活性化を考える会」会員のT

注) 奥の細道

(出典:yahoo検索より)


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