先日、プロフェッショナル仕事の流儀“夏井いつき”を放映していた。俳人 夏井いつき氏は、テレビ放映「プレバト」で俳句ブームの火付け役となった人である。“俳句”は17文字でつくられるが、彼女に言わせると俳句は病気を治す薬で、自分が満足すれば良いのだという。
人間同士には“阿吽の呼吸”というものがあるが、言葉でつながる部分が多く日本の文化である俳句や短歌は、大切にすべきだであると思っている。アイヌ民族の地位向上のために一生を捧げ、新聞や雑誌にその思想を短歌の形で発表したアイヌの三大歌人の一人“違星北斗”のように有名ではないが、十勝の俳人“井浦徹人氏”の歌碑が帯広市緑丘公園にある。当時の井浦氏は句会を主宰しており、父に連れられて句会を見にいったことがある。
一方、短歌は31文字で作られるので、俳句に比べてその情景が分かりやすいような気がする。短歌で有名な中城ふみ子は、1922年(大正11)生まれの歌人で、戦後の代表的な女性歌人の一人。現在の帯広三条高校出身で、若くしてガンを患いながら歌集「乳房喪失」を出版し、高い評価を得るに至った。
昨年11月、知人が主催している俳句会に入会した。俳句は、政治家のようにウソをつかない。下の短歌は、享年29歳でこの世を去った違星北斗の辞世の句で、なんという侘しい短歌だろう。
「世の中は 何が何やら 知らねども 死ぬことだけは 確かなり」
「青春の 希望に燃ゆる 此の我に ああ誰かこの 悩みを与えし」
また、次の俳句は会社上司のものと入会している会員のものである。
「今年また 同じ処に 曼殊沙華」
「数え日や からくり人形 追うてくる」
主宰している句会の先生が、ふたつの俳句を絶賛していた。上の俳句は、私と同じ脳出血を罹患した身障者が詠んだもので、その心情がよく分かる。また、下の俳句は高齢者が詠んだもので、明日は我が身のことで情景が目に浮かぶようである。
なお、十勝開拓の父“依田勉三”は、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」の13戸27名を率いて、30歳の時に入植している。彼は、“開墾の はじめは豚と ひとつ鍋”の俳句を詠んだといわれている。
「十勝の活性化を考える会」会員
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