百人百様とは、人間の価値観のことではない。私が週に1回、デイサービスを利用している人たちの症状のことである。多くの人が障害を抱えて利用しているが、その中に脳出血を患った50代と見られる二人の女性がいる。
二人とも補強バンドを足に装着してリハビリしている。一人は3年前に罹患し、一人は4カ月前に罹患したそうだ。二人の症状は、脳の神経を痛めているので、微妙に異なっている。症状が異なるもののリハビリは同じで、治すためには一生懸命歩いている。
障害は諦めないでリハビリを行なっていると、いつの間にか快方に向かっていくと思っている。何故かというと私は、10年前に脳出血を患い長期間にわたって頭の一部がしびれていたが、それが最近になって、治っているのに気づいたからである。このことは、知人が書いている“何故一歩が踏み出せないのか”に通じるものがあるので、その一部を参考までに載せよう。
何故一歩を踏み出せないのか?
【自己紹介】
2005年7月、50歳のとき脳出血を罹患。言語障害(失語症)、右片麻痺の後遺症が残っている。急性期病院の医師から「社会復帰は望めない」と言われ絶望感に襲われた。25メートル泳げたという自信が、その後「勇気・希望」がもて「変容」につながり、新しい自分(居場所)を発見した。
現在、障害を持ったからこそ果たせる役割があると公益活動に従事しながら、大学で障害者福祉をゼロから学んでいる。
【はじめに】
多くの人は中途障害を抱えると、回復の停滞感や減速感から徐々に落ち込み、情緒が不安定になり、引きこもりになる場合も多い。
私も4年間にわたり希望を失い、どん底の毎日を経験した。しかし、ちょっとした「きっかけ」(出会い)から「動機づけ」(変容)の変わり、新しい自分(居場所)を発見した。
【存在意義の否定】
私は救命されたものの、医師からの心ない言葉で失意のどん底に陥った。さらに仕事の仲間からは「三嶋は終った」と囁かれ、人間不信にもなった。こうなると、どんどんモチベーションが下がっていった。
自分が知らぬ間に「社会的弱者」と思うようになり、障害の有無にかかわらず、人間にとって最も避けたい存在意義を失った。これではいけないと思っていても、なかなか行動に移せない、一歩が踏み出せない日々が続いた。
【モチベーション(動機づけ)を上げるためには】
一番怖かったのは、目指す絶対的な価値観がなくなり、どこを目指したら良いのか分からず、空回りが続いた。それに加えて過去の自分と比較し、それが足かせになった。
心理学者のE.デシは、「自分がやりたいことをやった時、一番能力が発揮できる」と説いている。モチベーションを上げるためには、「これだったら、自分もできるかも知れない」ことを、一つ見つけることが大切。自分ができるところから、自分のペースでゆっくりやればいい。「自分で決めたこと」をやれば高いモチベーションが保てる。
【克服へのきっかけ(出会い)】
2009年、リハビリの一環として水中リハをはじめ、一年後に25メートルを泳ぐことができた。その時の水中映像で、麻痺側下肢がしっかり動いている自分の姿を見て、それまで「動かない」と思い込んでいたことにハッとした。
泳げたという「自信」と脳の可能性を信じる「希望」。そこから克服のチャレンジがはじまった(心のスイッチが入った)。当初、泳ぐことに躊躇していたが、指導員から背中を押してもらったことも、「きっかけ」になった。
【きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)】
とはいっても、どうやったら「心のスイッチ」が入るのか? それには自分を信じることと、自分ができることからはじめる。私の場合は、泳げたという「自信」と麻痺側下肢がしっかり動いている姿を見て「希望」がでてきた。
しかし、それだけではスイッチは入らない。どうやったら、きれいに泳げるのか。そのための目標を、自発的に取り組むことで「これだったら、できるかも」と納得し、意欲も湧いてきた。この過程が、きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)に変わった(スイッチが入った)。
私は一時は介護3であったが、現在は右半身が不自由であるが、普通の生活をしている。だから、障害を克服するには諦めないで継続することである。そして、自分の体験談を話すなどして、当事者同士の情報交換が必要だと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員
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