自分自身で感情に折合いを
先日、「道新」平成31年4月25日付けの記事に、以下のようなものが載っていました。
『食べるために植えた植物でも、愛情がわく。命をとるのは、可哀想にも思える。
「魚を食べる癖に!」と自分で思うほど矛盾している感情。まったくおかしな話だが、矛盾した感情を持ち、矛盾した行動をとってしまうのが人間の未完成で不思議なところ。ある種の魅力でもある。(中略)
人間は、我がままで身勝手な欲求を持つ自分と理性的な倫理的な自分がせめぎあい、折り合いを付けながら、社会に適合する自分の姿を作り上げる。
しかし、今の世の中、血を分けた子供に対し、残酷なまでの暴力をふるう親や、教え子や部下へのハラスメントをする教師や上司がいたりと、折り合いがつけられない人が多すぎる。
欲のために人をだまし、犯罪を犯し、それを隠ぺいしようとする人間もいる。しかも、表向きは社会的地位が高い人間がだ。
人間は不完全で未熟で、煩悩の魂とはいえ、悲しい事件が多すぎる。人間性を疑いたくなる言動も、あまりに増えた。
わたしも、いけないと思っても、暴言を吐きたくなることはある。でも、ここぞという部分では、歯止めを利かせようと努力している。
踏みとどませているのが理性なのか、「いいふりこき」なのか、見栄なのか分からないけれど、社会に生きるものとして、折り合いをつける努力は怠りたくないものだ・・・と、ギョウジャニンニクが伸びている風景を眺めながら、自分自身に言い聞かせていた。』 (完)
「十勝の活性化を考える会」会員
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