先日の日曜日、民放テレビのサンデージャポンで、“テリー伊藤氏”が、新型コロナウイルスに絡んで、いまの日本人は、「我」(ガ)を出しすぎると語っていました。そのとおりで、次のように理解しました。
例えば、人はSNSなど個人攻撃し、多数の人が同調して拡散・炎上する。炎上するのは決して悪いことでは無いが、出来れば現在の日本の政治などにも炎上してもらいたい。
ただ、学校や会社の「イジメ」などと同様で、特定の個人を攻撃するのは止めてほしい。日本人の情報リテラシーが、いま問われています。
戦後の日本人は、束縛から解放され自由になったのは良いことでありますが、自由には、公共の福祉のためにこれを利用する責任があることを忘れてはいけません。
人権保障の基本原則を定めている憲法第12条には、次のことが書かれています。
なお、この場合の公共の福祉とは、他人の人権まで犯してまで自分の人権を主張することは許されていません。この時のように、人権と人権を“調整”することを公共の福祉という表現を使います。
憲法第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 我
1.われ。自分。自我。「我の意識」
2. 自分の意志や考えを言い張って人の言葉に従わないこと。
わがまま。
3.人間の個体そのもの。また、その個体の中心生命。
(出典:デジタル大辞典)
注) 自由
一般的には,心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は,人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力をいう。
(出典: ブリタニカ国際大百科事典より抜粋 )
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