先日、沖縄県出身作家“久志芙沙子(くしふさこ)”のことを、NHKテレビで放映していた。彼女は1903年生まれで、作家を目指して27歳の時に上京、29歳の時に小説“滅びゆく琉球女の手記”を書いたが、沖縄県出身の人から琉球人をバカにしていると批判され、その本のみしか出版しなかったそうである。
このテレビを見ていて、琉球人の女性は北海道のアイヌと同じように、昔は腕に入れ墨をしていたのを初めて知った。そして、琉球人はアイヌと同じように、土人として差別を受けていたらしい。3年前の沖縄米軍基地の反対闘争で、東京から派遣された機動隊員が沖縄人に向かって、「この土人め!」と罵声を浴びせて大問題になったことがある。現在でもこのように沖縄人は民族差別を受けており、また国土面積の約0.6%しかない沖縄県には、全国の米軍専用施設の約7割があり、米軍基地の設置でも差別を受けている。
知人に、奄美群島の喜界島に住んでいた人がいる。喜界島は人口7千人弱の鹿児島と沖縄の間にある島で、鹿児島市から約380kmも離れており、台湾に近いために琉球文化と薩摩文化が交じり合っていたそうである。
なお、北海道のアイヌと沖縄人の顔が似ているのは、下記に示すとおりDNA解析により遺伝子が似ているからである。生命誌ジャーナルに掲載された“縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く”と題した、国立科学博物館研究員である神澤秀明氏の寄稿文に分かり易く書かれており、参考までに掲げよう。
(寄稿文)
『現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球人に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた。(中略)
現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。』
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 作家 久志芙沙子
久志 芙沙子(くし ふさこ、1903年 - 1986年)は、沖縄県出身の小説家。首里に生まれる。沖縄県立第一高等女学校卒業後に小学校教員となる。27歳の頃、小説家を志して上京し、結婚して子供ももうける。
1932年、小説『滅びゆく琉球女の手記』を雑誌『婦人公論』に投稿し、掲載される。ところが、その内容に対して東京の沖縄県学生会から、同小説が沖縄のことを悪く書いている、またアイヌや朝鮮人と同一視されては困るというクレームがつき、連載が中止される。
芙沙子はこれに対して、沖縄を悪く書いたつもりはなく、沖縄文化に無理解な人に媚びる必要はないこと、またアイヌや他の民族を差別する心の方が歪んでいる、と釈明したが、その後、芙沙子は文壇から去って行った。
2016年に刊行された芙沙子をモデルにした小説「ツタよ、ツタ」(大島真寿美)が話題となり、芙沙子の孫が芙沙子の人生をたどる旅をドキュメンタリー化した番組がNHKで放映された。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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