十勝の活性化を考える会

     
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養成と育成、研修と教育の違い

2020-09-22 05:00:00 | 投稿

 

1.養成と育成の違い

 言うまでもなく「養成」とは、養い育てることを意味しています。そして、一定の技術を身に着けさせるためにカリキュラムをもっています。

国家資格取得を目的にする学校を、一般に「養成校」と言われています。それと似たような言葉で使われている「育成」は、読んで字のごとく育てることを指しています。英語のエデュケーション(education)は、ドイツ語のエアツィーウングに起源があるとされています。

元々「引き出す」という意味があり、その人が持つ潜在能力を引き出す、すなわち、「育成」を意味しています。 私が考える「育成」の姿は、介護・支援を「する」人、「してもらう」人という二分法で捉えるのではなく、双方で考える対等関係を維持し、『共に成長』を描いています。

これにより、一方的な介護・支援を受けるだけでなく、自分も誰かの役にたっていること(自分ができるところからゆっくりやればいい)を実感し、安心して共に過ごせる関係を築くことが、これからの自律支援のあり方と考えているからです。さらにこの関係では、社会福祉で広く使われている“援助(援護)”という意味を考える良い機会になります。

 さて「育成」を考えるときに重要なことは、「尊厳の保持」をどう捉えるか。まず“自分への尊厳”と同時に“相手への敬意”を表すことで、『人間関係』が生まれてきます。仕事(“業”)としての「してあげる」(義務)という考えでは、相手への敬意(尊厳)がなかなか生まれてきません。

別の言い方でいうと、“善意”がなければ、相手への敬意は生まれません。養成(校)ではとかく、この「人間関係」を省いています。福祉専門職の研修でも、基本的スキルや意識教育を学ぶ機会や、スーパーバイズを受ける機会が殆どありません。

 

2.「研修」と「教育(学び)」の違い

 ここで「研修」と「教育(学び)『育成』」に違いについて、少し考えてみます。辞書で「研修」を引くと「職務上必要とされる知識や技能を高めるために、ある期間特別に勉強や実習をすること」とあります。他方、「教育」については、「ある人間が望ましい姿に変化させるために、心身両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること」とあります。

 ここでわかることは、研修は対象者が「自ら行う」ことであり、教育は、教え手が対象者に「働きかける」ことだということですが、どう働きをかけるかが重要になります。

研修はその字のとおり、「研ぎ修める」という自らが行う行為であるのに対し、教育は「教えて育てる」と、相手にしてもらう行為だということがわかります。

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注)人間関係

人間関係は、人間と人間の関係のこと。社会世間)や集団組織の場あるいは個人的な場における、感情的な面も含めた、人と人の関係のこと。

ひとりの人は誕生したときに、すでに両親との人間関係を持ち、さらにその後、兄弟姉妹)、親戚、知人、友人恋人配偶者などとの関係を通じて、様々な人間関係を営んでゆく。ひとりの人の人生は、人間関係の歴史そのものである。その中には、良好な関係もあれば、険悪な関係もある。

また、人間関係は、長期間にわたり継続されることもあるが、せっかく築き上げた関係が、短期間で崩壊してしまうこともある。

人間関係というものは、しばしば悩みごとの筆頭に挙げられるものであり、人間関係という問題の歴史の長さは人類の歴史の長さと同じほどだと考えられている。大昔の人、例えば古代ギリシャ人による人間関係の描写の中には、現代人が読んでも、まるで今日の人間関係のことのように思えるようなものが多々ある。それはつまり、人間関係の問題というのがある意味、進歩が無い、いわば「永遠の問題」だということを示している。

人間関係が歪むと、さまざまな症状が現れることがある。家庭内で夫婦関係や親子関係が歪むと、離婚や家庭内暴力となって現れることがある。学校においてさまざまな要因により人間関係が歪むと、校内暴力、いじめ、登校拒否などとなって現れることがある。

人間関係は、大抵の人にとって、悩みのタネであり何らかの「問題」である。現代人はしばしば、自分と他の人間との関係の調整に神経をすり減らしており、各人それぞれ体験的に人間関係のめんどくささを知っている。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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1 コメント

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Unknown (ZIP)
2020-09-23 20:53:37
自分と他人との関係だけでは神経はさほどすり減ることはないと思います。
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