十勝の活性化を考える会

     
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秩父事件から歴史を学ぶ

2019-08-14 05:00:00 | 投稿

 秩父事件は、明治17年(1884)に秩父地方で起こった自由党員と農民の蜂起事件。事件後、田代ら7名の死刑を含め、関係者の3386名の有罪が確定した。

この事件の首謀者であった10人のうち井上伝蔵(会計長、死刑逃亡者)と飯塚森蔵(乙大隊長、懲役11年逃亡者)の二人が、野付牛町(現在の北見市)と釧路の白糠町で最期を遂げている。

私は秩父事件のことは知っていたが、井上伝蔵と飯塚森蔵二人のことは全く知らなかった。最近、小池喜孝著「蔵と森蔵 自由民権とアイヌ連帯の記録」の本を読んで二人のことを知った。

本を読む理由は、知識が増えることに加えて、自分の考え方や今後の行動の指針になるからだ。ただ、注意しなければならないことは、本には史実と違うことが書かれている場合があり、3冊程度の本を読んで同じことを書いている場合は史実とみてよかろう。秩父事件の真相は、以下のとおりである。

ところで、人はよく「どこかで聞いたことがある」というが、内容を詳しく聞くと分からないと答える場合が多い。内容が分からなければ、聞いたことにはならないと思うので、私は初めから分からないと答えるようにしている。

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注)秩父事件

1884年埼玉県秩父郡で起った自由党員と農民の蜂起事件。いわゆる自由民権運動における激化諸事件の一つ。当時,松方デフレ政策の影響を受けて養蚕,製糸業を主業とする多摩,秩父地方の農家の大半は窮境に陥り,高利貸からの借金に頼らざるをえなくなった。このため,井上伝蔵ら秩父の指導者は警察や高利貸に対して請願を続けていたが,84年2月,大井憲太郎の秩父遊説を機に自由党に入党。そして,同8月秩父困民党を結成し,同郡大宮郷の顔役であった田代栄助を総裁とした。彼らは運動の目標を,借金の 10年据置き,40年賦返済,校費雑収税,村費の減免などにおき,陳情,請願を続けた。しかし,10月井上ら指導者たちは合法運動に限界を感じ,武力による目的実現へと準備を開始するにいたった。 11月1日同郡下吉田村椋神社に数千名の武装農民が結集,翌2日大宮郷を占拠した。暴動発生を知った埼玉県当局は憲兵隊派遣を要請,3日憲兵隊が出動したが,農民軍に敗れ退却。4~5日東京鎮台兵2個大隊が出動するに及んで,同5日農民軍は制圧された。事件後,田代ら7名の死刑を含め,有罪 3386名が確定した。

(出典: ブリタニカ国際大百科事典

 

注) 井上伝蔵

井上 伝蔵(安政元年6月26日1854年7月20日 - 大正7年(1918年6月23日)は、秩父事件の中心人物の一人。

井上類作の次男として武蔵国下吉田村(のちの埼玉県秩父郡吉田町、現秩父市)に生まれる。幼名は治作。長男が早くなくなったため、商家「丸井」を継ぎ、代々の「伝蔵」を名乗る。商用で上京するうち自由民権運動に共鳴し、自由党に入る。

1884年(明治17年)11月に起きた秩父事件は会計長を努めた。秩父事件敗北後、逃亡。欠席裁判で死刑の判決を受けたが、北海道に潜行していた。北海道石狩代書屋を開業、1905年(明治38年)「代書人取締規則」の施行で規制が強化され、逃亡中の身であり身分証提出ができず代書業を廃業せざるを得なかった。

伝蔵は1918年(大正7年)、野付牛町(現・北見市)で、秩父から呼びよせた先妻や、変名(伊藤房次郎)のまま結婚した妻と子供に見守られながら波乱に富んだ生涯を閉じた。享年65。死去直前に伝蔵は、子供らに北海道へ来る前のことを語ったという。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

注)飯塚森蔵

18541893 明治時代の自由民権運動家。
嘉永76月2日生まれ。群馬県で小学校教員,校長となり,のち郷里の武蔵秩父郡(埼玉県)下吉田村にかえる。明治17年井上伝蔵らと秩父事件を指導するが失敗,消息をたつ。明治261223日愛媛県で死去40歳。大正611月北海道白糠のアイヌコタンで死去との説もある。

(出典: 講談社デジタル版 日本人名大辞典)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
井上伝蔵の家 (比企の丘)
2019-08-15 09:50:53
秩父事件・・・秩父はわが家から1時間ぐらいの地、ブログをはじめてから追い求めたテーマです。

下吉田の道の駅に復元した伝蔵の家です。
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/665778cce634fa63dbb4af801554501f
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コメントありがとうございました (事務局)
2019-08-16 11:57:12
比企の丘様いつもありがとうございます。

井上伝蔵氏が死の間際に、家族に告白した事は、その後の歴史に大きな影響を与えたと思います。
地元研究家「小池喜孝」氏が井上氏や網走監獄に送られた困民党国事犯の掘り起こしを始め、やがて監獄の強制労働やタコ部屋による奴隷労働、そして朝鮮・中国の人たちの強制連行など、戦前の負の歴史を次々と明かしてゆく民衆史運動へと発展してゆきました。
その過程で秩父の人たちとの交流もあったようです。
私たちはその歴史を後追いしながら学んでいるところです。
いずれ続編も投稿しますので、ぜひ秩父から見た北海道についていろいろご教示ください。

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