茨城県牛久市のはずれを散歩していたら、畑の脇に小さな祠があった。
(県道土浦稲敷線、荒川沖へ向かう途中の「珈琲8代葵カフェ ひたち野うしく店」裏の旧道沿い。ここはすでに阿見町でした)
この程度の祠は、あちこちにあるが、立ち寄ってみた。
入り口の扉の上に看板があり、ひらがなで
第二十一番、だいりうの つねにすむぞや げにいわや・・・とある。
21番があるなら、近くに20番や22番があるのだろうか。
お供えもちも飾られて手入れはゆきとどいている。
家にかえってからグーグルに「だいりうの・・」いれて検索すると、1件それらしきものがヒット。
開けてみると、「四国偏礼道指南増補大成」を文字おこしした解説サイトだった。
四国88カ所のお遍路みたい。
21番はまさに阿波徳島の二十一番札所「大龍寺」であった。だいりうの・・は大龍の
空海が少年時代に修行したというずいぶんと古い寺だ。
この大龍寺、険しい山中にある。昔は行くのが大変だったろう。
今ではロープウェイがついている。
何のいわれかわからないが、四国遍路につながる秘密の通路を茨城県南部の畑の中に見つけた。
この祠の扉をあけると、不思議の国のアリスのように、阿波の国に行けるのかもしれない。
ではまた、ぶらり。
追伸:
ちなみに、この本「四国偏礼道指南増補大成」は、江戸時代のお遍路のガイドブックだ。
図書館蔵書や古本にヒットする。
著 者 [宥弁(真念)/著]
出版者 柏原屋清左衛門[ほか]
出版年 1767
ページ数 58丁
(たくさん出回ったようで古本2,3千円程度と安い)
検索でヒットした上記のサイトは、以下を参照してください。
(どなたが作ったかわからない匿名サイト。だが、資料としてすばらしい。いいね!いいね!)
第二十一番
舎心山 常住院 太龍寺
案内の現代語訳もある。
「空海がまだ出家していないとき、この嶽の霊威を見て攀じ登り、勤操僧正に教わった求聞持法を行った。・・・」などの寺のいわれやと道順、案内図等がわかる。
その阿波の部分 原文
「廿一番大龍(りう)寺【指南に「たつミむき」】 那賀郡 舎心(しやしん)山常住(しやうぢう)院と云 本尊虚空蔵(こくうそう)大師御作也【指南に「秘仏」】此所大師少年の時 霊を感(かん)じ求聞持(くもんち)を修(しゆ)し給へり霊験(れいけん)大師 ミつから三教指帰等にのべ給ふ名区なり 【本尊図】大龍(りう)のつねにすむぞやけに岩屋 しやしん聞持(もんぢ)ハしゆごのためなり 是より【異体字】平等(ひやうとう)寺迄二里。三十【異体字】町程(ほと)深山(しんざん)。本道ハ山口村に かヽる三里也【指南に「今の道はすぐなり」】。あせび村。おヽね坂。あらたの村。」
現代語訳 「{南東に向いて建つ。}那賀郡。舎心山常住院と号する。本尊は虚空蔵菩薩像で、空海の作。{秘仏。}空海が少年の頃に霊威を感じて求聞持を修めた。空海本人が霊験のほどを三教指帰で書いている。 詠歌「大龍の常に棲むぞや げに岩屋 舎心聞持は守護のためなり」 平等寺まで二里。三十町ほどは深山を行く。大きな道は、山口村を通る。三里の道程だ。{現在の道は、真っ直ぐ。}阿瀬比村、おおね坂を通って荒野村に着く。」
なお、このサイトには、「四国遍礼霊場記目次」もあり、現代語訳がついている。
以上
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