我が師の庭師の長牛さんが当市を去って随分になり、先日かつてのお屋敷の「京錦(そば処)」を訪ねたら、長牛さんが作った水鉢も枯れ川も無くなっていました。
長牛さんは、測量事務所をして居られるM宅の前庭を作って居られたので、それを確かめに行きました。
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長牛さん作成の小振りの水鉢は健在でした。ほとんど手入れはされていませんが、長牛さんの作った蹲踞(つくばい)の形式がそのまま残されています。水鉢の後に大きな石が立っています。裏千家や表千家の蹲踞にはこんな大きな石は立っていません。これは我が家の蹲踞と同じ「伊達(仙台)」さんの庭の形式なのです。
M氏宅の蹲踞が千家の蹲踞ではなく、伊達(だて)流の蹲踞であったことは、我が家の蹲踞を模されたと思うのは失礼でしょうか。
伊達づくりの蹲踞は徳川家の作りでもあるらしいので、長牛さんはすでにご存知だったのかもかもしれません。
今となっては長牛さんにお聞きするしかないのですが、
どこに居られるのでしょうか・・・・ !
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枯れ川も、自宅までの飛び石の右側に健在でした。草に隠れて良くは見えませんが、長牛さんにお聞きするしかないのですが、長牛さんがよく話していた「ふるさとの小川」を作るという心意気が感じられ、嬉しく思いました。
飛び石の打ち方も、使っている石もなかなかです。
改めて我が師、長牛さんの素晴らしさを感じた日でした
長牛さんは、測量事務所をして居られるM宅の前庭を作って居られたので、それを確かめに行きました。
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長牛さん作成の小振りの水鉢は健在でした。ほとんど手入れはされていませんが、長牛さんの作った蹲踞(つくばい)の形式がそのまま残されています。水鉢の後に大きな石が立っています。裏千家や表千家の蹲踞にはこんな大きな石は立っていません。これは我が家の蹲踞と同じ「伊達(仙台)」さんの庭の形式なのです。
M氏宅の蹲踞が千家の蹲踞ではなく、伊達(だて)流の蹲踞であったことは、我が家の蹲踞を模されたと思うのは失礼でしょうか。
伊達づくりの蹲踞は徳川家の作りでもあるらしいので、長牛さんはすでにご存知だったのかもかもしれません。
今となっては長牛さんにお聞きするしかないのですが、
どこに居られるのでしょうか・・・・ !
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枯れ川も、自宅までの飛び石の右側に健在でした。草に隠れて良くは見えませんが、長牛さんにお聞きするしかないのですが、長牛さんがよく話していた「ふるさとの小川」を作るという心意気が感じられ、嬉しく思いました。
飛び石の打ち方も、使っている石もなかなかです。
改めて我が師、長牛さんの素晴らしさを感じた日でした
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