
第一分科会での話。
東京都福生市の公民館松林分館の伊東静一氏(市の職員)から、公民館事業の事業評価手法について講演があった。
このことについては、前々から、公民館主事がなぜ休みが取れないくらい忙しいのか考えたときに、事業のスクラップ&ビルドが上手にできていないのではないかと思うようになったからです。
つまり、社会環境や住民のライフスタイルが変化しているにもかかわらず、スクラップできないでいる事業があって、そこにどんどん新規事業がビルドされているのではないかと。
そのための評価手法として、本市が確立している事務事業評価手法も考えてみたのですが、地域性が異なり、非営利性が高すぎるため当てはまらないのではないかとも。
しかし、何か手法がなければ、公民館主事の軽減が出来ない。
何か言い方法がないか。
そこに今回の講演である。
伊東氏は、話の中で「福生市では、」という言葉を必ず前置きされた。
それは、「地域が変われば事情が変わるから、指標も基準も変わるからです。」とも解説されていた。
なるほど、である。
この人は、凄い。
そう思っている矢先、彼は、彼の先輩で、現職のまま逝かれた加藤さんという方のことを紹介してくれました。
「加藤さんは、地域の人の相談には何でも乗ってあげる人でした。
ですから、加藤さんが歩けば、必ず『加藤さん、加藤さん』と
行列ができました。
そして、彼のお通夜の席で私は受付をしていたのですが、それは
もうたくさんの弔問客の方が見えられ、『私たちの光がなくなっ
た。加藤さんは、私たちの生き神様じゃった。』と口々に言われた
そうです。
そこで、私は、加藤さんと何がちがうのかを考えてみました。
はっきりしていることは、彼は頼られていたということです。
彼は、どんな相談にも乗っていました。どんな些細なことも
真剣に、誠実に取り組んでいました。
そして、今も、私は加藤さんのように成れないでいます。」
すごい人がいたんだと思いました。
そうなんです、私たちの理想形は、市民に頼られる職員になることかもしれません。
そして、そんな職場に一番近いのは、公民館ではないでしょうか。
雑用を嫌がる職員もいます。
でも、それにより、市民はその職員を頼るでしょうか。
「そんなこと言うても、課長は現場やないからわからんのですよ。」
そうかもしれません。
親でもない、先生でもない、まして上司でもない人に、何でそんなことを言われないといけないのか。
来る日も、来る日も、同じ繰り返し。
勘弁して欲しい。
そうかもしれません。
「自分のことは、自分でしたらいいんですよ。」
でも、最高級のホテルのコンシェルジェは、絶対にお客様を否定する言葉を発しません。
必ず、相手の人格を尊重し、「お客様、それは難しいのですが、こういうことならできます(あります。)」と、常に代替案を示すそうです。
最高級の品質のサービスとは、そういうことですし、そう言われて不快な気持ちはしないものです。
品質の高いホテルほど落ち着くし、気軽に注文や相談ができるものです。
行政も同じく、相談できる人は、頼れる人なのです。
そして、頼られる職員になることこそが、誇らしく、自己の自尊心が高まることであり、楽しいことかもしれませんよ。
私たちは、公民館担当である前に、市民の公僕であることをもう一度思い起こしてみましょう。