
人口減少、超高齢化社会の帰結として地方消滅が既成事実化されている。
特に四国は、最も危険視されているようだ。
過疎地域の共同体維持が困難な集落が全体の33.8%を占めるという。
いわゆる限界集落と呼ばれる、山間部に点在する高齢者ばかり取り残された小さな集落。
そればかりで無く、若年層の大都市圏への流出が止まらない現状を考えれば、
ほとんどの地方都市がインフラ崩壊による消滅都市のボーダーライン上にある。
先日、NHKで放送された特集番組では、県庁所在地である松山市も、その可能性を指摘されていた。
テレビを観ていて、ずっと違和感がモヤモヤと頭の隅から離れない。
これが進行すると、結局、人口の集中する大都市圏しか人が住めないという結論になる。
豊か自然と大きな恵みをもたらす、その他の大地は無住の空白地帯となるのかな?
それとも食糧生産のために集約的な工場と化すのかな?
公共サービスであるインフラ整備を効率優先で推し進めると、
例の「選択と集中」という結論になるらしい。
これって、都市国家への移行を示唆しているのかな?
シンガポールのような。
だったら食糧は、大量生産される安価な農業大国からの輸入ということになる。
市場原理を優先するグローバル経済の行き着く先は、そういうことだろう。
経済成長し続けることを生命線とするシステムを疑わなければ、
本来は生存権であるはずの公共サービスや医療、教育、福祉なども効率化の取捨選択に晒される。
何か変だ?
人類誕生からの長い歴史の中で、人は、あらゆる辺境へ進出して定住してきた。
何処へ住もうと自由なはずだ。
集約された大都市にしか住めないのだとしたら、それは超管理社会ディストピアだろう。
それで本当にいいのかな?
では、経済成長しない縮みゆく社会を受け入れたなら、
循環型の持続可能なシステムを模索してゆくしかない。
豊かな自然と安心な食を基調とした観光立国は、どうだろう?
日本の産業構造は、もうとっくにサービス業主体に変わっているのだから。
物づくり大国という神話は、捨てて。
社会基盤を維持するためのイノベーションは捨てられないか。
手造りの伝統工芸も大事にしよう。
もちろん縮小社会には、危険な原発は、いらない。
それは安心な食や観光とは相容れないエネルギーだから。
電力の地産地消のための蓄電技術開発を急ぎたい。
観光立国を維持するためには、近隣諸国と友好的な平和憲法は生命線だ。
お花畑の妄想と笑われるだろうか?
四国消滅を、そのまま受け入れるくらいなら、それでもいい。
田植えの季節を迎え、ここ数日、山間から里山まで撮影のために移動しました。
撮影をしていると自然に農作業する人と言葉を交わすことになります。
来年から長らく続いた減反政策が解除されます。
TPP締結を前提とした市場開放、規制緩和のための政策です。
でも一様に中山間地の人々から発せられる言葉は、自分たちの代で、百姓は終わりだと云う呟きでした。
学校訪問は文科省から直接来るそうです。
公立の小中学校は地教委ですね。
教育改革、教育課程などなど変化が続いています。(日替わりメニュー)
この改革は、東京が中心なんだと返事が・・・
つまり地方は取り残されるか、意見を聞いてもらえない、切り捨て!
このことからも、「四国消滅」という危機が垣間見えます。
この原風景がいつまで続くやら・・・
田んぼは休耕田にするのは簡単、復元するには多大なエネルギーと歳月(最低でも5年)・・・
自給率は下がる一方です。
まさに日本漂流です。
あれだけ盛んに云われていた地方自治への転換は、どうなったのでしょうね?
ふるさと納税なんて、結局、納税者獲得の豪華景品ばかりが目立ち、
お金の余っている人の減税対策として利用されていると揶揄される始末。
「四国消滅」のTV番組を観ていても、大学を卒業した子たちが登録する就職支援サイトの検索結果は、
故郷の企業では希望条件から遠く、首都圏の企業に集中してしまいます。
東京一極集中に、益々拍車がかかり止まらない。
その上、2020年には東京オリンピックですから。
このために本末転倒の東北の復興も遅れていますよね。
合併しないとインフラが崩壊すると、散々脅した「平成の大合併」から15年。
色んな弊害が浮かび上がっています。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3492/1.html
また、この記事を書くために「地方消滅の罠」を読み返しました。
ここでも明治以来、推し進めてきた近代化、中央集権の転換期に来ているのだ。という結論でした。
人口減少社会、経済成長神話の終焉は、歴史的転換点ですからね。
人は貧しくとも安心が得られる共生社会なら、子供を産み育てようとします。
その代わり、経済的に豊かでも安心を得られない共同体の崩壊した弱者切り捨ての自己責任社会では、
子供を産み育てようという選択肢は難しいでしょうね。
そのためには、生きてゆくための基盤である一次産業(食)が安定していることです。
その基盤の上に経済活動が成り立つのだと思います。
安心の食、食糧自給率をもっと上げないと。
お金だけでは人は生きてゆけない。
インタヴュー記事を読んで、この問題は避けて通れない喫緊の課題なのだと認識を新たにしました。
復興大臣が東日本大震災について、「東北でよかった」と発言したことでもわかるように、
公言されないけれど、「地方切り捨て」は政権の既定方針です。
東日本大震災のあとの復興工事、原発事故処理、除染、住民の帰還政策、
どれを見ても政府には国民的急務であるという真剣さが見られません。
かつて地方は自民党の金城湯池でしたけれど、急速な人口減・高齢化と経済活動の萎縮によって、
もう守るだけの「うまみ」がなくなった。
いまの自民党は国民政党ではなく、富裕層のための新国家主義政党です。
経済成長のために無駄なものは次々切り捨てていく。地方はその「無駄なもの」の一つです。
具体的にどんな動きが出てくるのでしょうか。
国民資源の一極化です。
「コンパクトシティー」が適例ですけれど、地方に中核都市を作り、郊外の住民をそこに集住させ、医療、教育、消費活動をそこに集中させる。
里山の住民たちを「快適な暮らしが欲しければ、都市部へ移住しなさい」というかたちで誘導して、
里山を実質的に無人化してゆく。
すでに各地で鉄道の廃線が各地で進んでいますけれど、
「費用対効果が悪い」という理由で交通や通信や上下水道やライフラインなどのインフラを撤去することに市民が同意すれば、
いずれ学校や病院や警察、消防などの基本的サービスが受けられない地域が広がります。
そういう地域は事実上「居住不能」になる。
そのようにして「居住不能地区」を全国に拡大して、「住めるところ」だけに資源を集中すれば、
たしかに行政コストは劇的に軽減される。
いずれ地方自治体の統廃合が行われ、地方選出の国会議員定数も減らされ、地方の声は国政に反映しないという時代になるでしょう。
2100年の人口は中位推計で5千万人です。
その5千万人も半数近くが高齢者ですから、人口を都市に集めて機能的、効率的に税金を使うしかない
という説明には反論がむずかしい。
そのためには人口減社会においてどういう社会を構築するのかについての新しいヴィジョンを提示する必要があります。