爽やかな9月の晴天が続く。
山からは一足早い秋の便りが届く。
出掛けたいのは山々だが、こう晴天続きだと堂ヶ森小屋の水場は涸れているだろう。
もう少しの辛抱…週明けには、まとまった雨の予想。
散歩の里山は、谷津の奥、池畔の茅場へ出かけた。
ここは稀少な野生種の桔梗が咲く場所。
初秋の時分には、女郎花(おみなえし)や萩の秋の七草も咲き揃う。
芒には、まだ早く、釣鐘人参の薄紫は花色も褪せ、草叢に朽ちてゆく。
アキアアカネも、ずいぶん体色が赤くなり、いよいよ赤トンボの名に相応しくなってきた。
黄昏の蝉しぐれは勢いが衰え、法師蝉の声が、その大半を占める。
池畔を散歩していると、鮮やかな緑色の飛翔体が目の前を掠めて、ゆるやかに草叢に着地した。
瞬間、「玉虫だ」と確信した。
久しぶりに、この正倉院の宝物、玉虫厨子で有名な、輝緑色の甲虫と出会った。
飛び立たないように、ゆっくり近づき撮影に成功。
あのキラキラの体色も意外と草叢に融け込むと保護色になっているようだ。
オオルリのメタリックブルーだって新緑の葉叢の中では、囀りが聴こえないと意外と目立たない。
(蝶は地味目の日陰蝶。と思っていると同じシャノメチョウ科のよく似たクロヒカゲでした。)
落日の時間も、日一日と早くなって来た。
雲間に翳り始めた池畔の水鏡が目を惹いた。
今朝は、明け方時分、寒くて、もう毛布を出そうか思案の天日干し…
朝晩は秋の匂いを感じるようになって来ましたね。
石鎚では 登山そうには今の時期咲いてないはずのも
のが咲いてたりして まだ夏の予感 と思いきや10度切った夜中の風は寒かったです。この最近ブログは
遅いアップですが 明日以降アップできるよう頑張り
ます(笑)面河の国道沿いのモミジラインーー早くも
紅葉が始まってました。
ブログを拝見すると、随分上手くなりましたね(笑)
この花火写真は、目の付け所が面白い。
色彩感覚も以前と較べると見違えるほど。
私はMasaさんは山岳写真よりも、こういう被写体の方が向いていると思いますよ。
http://yakaimissm.blog.fc2.com/blog-entry-2411.html
秋の訪れは、光や風の大気の変化や草花や昆虫の生き物たちの移り変わりに先ず現れます。
こういう季節の先駆けを察知するのも自然写真ならではの楽しみです。
久万高原のカエデ並木は園芸種の樹木なので、あまり季節感は当てになりません(笑)
さぁ今年の紅葉は如何でしょうね?
私は11月の山が静かになってから石鎚へ入ろうと考えています。
Masaさんの紅葉写真、期待しています。
今回も里山の雰囲気十分堪能させていただきました。
写真、様々な水面の撮影の技術も素晴らしい。
玉虫、珍しいですね。
恥ずかしながら一度も会ったことがない。
自然の神秘・・・
さあ、来週は堂が森から石鎚でしょうか?
秋だから自転車旅行もいいですね。
前回の「屋久島超巨大杉を探せ」に続いて、NHKの持つ映像技術の底力を目の当たりにしました。
公共放送としての倫理観が相当怪しくなってきたNHKですが、
こういう質の高い番組を見せられると受信料徴取も納得です。
鬼城さんのブログにも書いた地方発信の映像表現ですが、
私なりに帰郷以来、20年近く、石鎚山の自然現象の魅力を伝え続けて来ました。
こういう一カ所に集中して毎週毎月のように山の四季の移ろいを伝えるメディアは、
HPを始めた2000年当時は無かったと思います。
さすがに近頃は体力と気力の衰えと共に、山へ通い続けることが困難になって来ました。
そろそろスケールダウンの潮時かな?と模索中です。
人口減少高齢化と共に衰退期にある日本社会と同じです(笑)
自分の持っている有限の資源でやってゆくダウンサイジングは生きてゆく上の必然ですから。
自転車で通える範囲内の身近な自然を中心に、たまには頑張って堂ヶ森辺りの大きな自然にも触れたいですね。
本と自転車と身近な自然写真の3本柱で、当分、続けてみます。
ブログタイトルも変えようかな?
スイス大統領は北朝鮮と米国を仲介して秘密裡に和平会談を行う用意があると発表した。
スイス軍は韓国と北朝鮮の国境付近に配備されており、
スイスはスウェーデンと共に中立的な外交の長い歴史があると指摘した。
https://jp.reuters.com/article/northkorea-missiles-swiss-idJPKCN1BF1B2
スイスという国は中立国としての役割を弁えた本当に尊敬に値する国だと思う。
せっかく戦争放棄の平和憲法があるのに、それを押し付けと厄介者扱いする何処かの国とは雲泥の差。
米国が北朝鮮への武力行使を実行して日本がそれに参戦した後のシナリオとして、
もっとも現実的な想定は…?
核爆弾の破滅的な結末よりも、米国が軍事介入したイラクやアフガニスタン、シリア、リビアのその後を見れば明らか。
夥しい難民の流出と憎悪に駆られたテロの常態化だろう。
地中海を渡る止まることのない難民流出に悲鳴を上げる欧州諸国は遠い他人事ではない。
日本海を渡る北朝鮮難民の流入を日本は受け入れる覚悟はあるのだろうか?
この内田樹の「米朝戦争のあと」というブログ記事は、読んでいて震撼とする。
http://blog.tatsuru.com/2017/09/04_1733.php
それをどう表現するかが、いままで培ってきた写真ヤとしての成果だと思う。
mailadvice有難うございます。
そうだなと呟きました。
もう逆らうのはおやめなさい、でも向上心は捨ててはいけないよと声が聞こえます。
WKの珍道中は定期的に続けたいねと言いながら
今日は久々の筋肉痛です。
高々、寒風あたりでこれでは先が思いやられますね。
相かわらず心に静かに響く素敵な切り取りです。
私たちは、色んなところで思い込みで生きています。
それが常識だと信じ込んでいることが多々あります。
本当は、その時代だけとか、その地域だけで通用する特異な認識であっても。
なかなか、そこで染み込んだ固定観念から抜け出すことは大変です。
ちょっと視点をずらせば、もっと楽に生きられるのに。
ってことが本当にいっぱいありますよ(笑)
生きてゆく上で大切なことって、そんなに沢山ありません。
溢れる欲望を刺激する情報に惑わされないことです。
そして私たちの年齢になると心と身体のアンビバレンツ(二律背反)に直面するのは避けては通れない現象です。
高齢者の交通事故や山の事故が多いのも、この現象です。
気持ちと身体の動きが繋がらない。という乖離感。
何処かで自分の身体運動の限界(可能性)を知る物差しが必要だと思います。
私の場合は、それが自転車です、
これで行けないところは、現在の私の身体運動の限界です。
身近な自然からほとんど誰もかえりみないような美しい瞬間を発見した時の悦びは、
雪嵐の後の山で荘厳な朝を迎えた感動と変わりません。
否、誰もが感動する風景よりも誰もかえりみない風景からの発見の方が、
満足感は大きいかもしれない?
Unknownさんも常識に囚われずに、少し視点をずらしてみましょう(笑)
「消費」という資本主義経済を支える基本概念の揺らぎという形で出てきている。
消費は「長らく低迷している」のではない。
戦後の大量消費/大量生産こそが異常だったのであって、
消費に疲れ、消費に飽きる人のほうがマトモだと言えるだろう。
コミュニティデザインをナリワイとする山崎亮氏は「“楽しさの自給率”を上げよう」と言う。
「どこかに行ってお金を使って誰かに楽しませてもらうだけでなく、
自分たちで楽しみを作り出す力を高めてゆくことが大事」と。
今後ますます、お金を遣わないと暮らせない・楽しめない人は、
空虚でつまらない人生を送る時代に突入する。
このまま「The 消費者」として踊らされ、搾取され続けていていいのだろうか。
https://hbol.jp/149700