いよいよ震災後の社会の仕組みを問い直す大事な国政選挙が幕を開ける。
しばらく私自身のなかで、そんな社会の理不尽さに異議申し立てをする言葉を、うまく繋げることができなかった。
それはたぶん開沼博の登場が大きく影を落としていたと思う。
何か福島以外の安全な場所から発言することのうしろめたさ、自分の立ち位置が判らなくなる負の連鎖に陥ってしまう。
私自身の原発や放射能に対する基本的な認識は変わらない。
でも、それを声高に発言することを躊躇ってしまう。
逃げたくても逃げられない福島で暮らす大多数の人がいる。
風評被害などという言葉は本来何の意味もなさない。
原発誘致をするということは、それらすべてのリスクを呑み込んでの膨大な資金の投下なのだから。
とは言っても、現実は国も東電も助けてはくれない。
棄民として放り出された大多数の福島の人々の苦しみばかりが露呈される。
彼らの苦しみに膿んだ傷口に、なお塩を擦りつけるような言葉はかけられない。
私たちの振りかざす正義は、ときとして被災した人々を甚く傷つける。
どこへ怒りを持っていけばよいのか?
かくして巧妙なネガティブキャンペーンは深く静かに進行していったのだと思う。
さて、ついに選挙だ。
私たちは何を信じたらいいのだろう?
3・11の衝撃を経験した私たちは、それを自分自身で選択するしかない。
不健全に育ったテクノロジーの記録
3月11日に福島第一原子力発電所で何が起こったのか、不明なことはまだまだ多いが、事故の実態はある程度まで明らかになってきた。
しかしわかったのは “how” に対する問い、つまり事故がいかにして起こったかという過程に関する問いへの答えであって、”why” つまりどういう理由でそれが起こったかを説明するものではない。
事故の過程ならば地震と津波から数日間の話だ。しかし事故の理由を問うのは、なぜ地震と津波でこれほど広大にして長期にわたる被害を出すような施設があそこにあったか、その点を問うことと同じである。
そこには長い過去がある。
我々はこの惨憺たる結果を生むに至った原因をいちばん最初まで遡ってみなくてはならない。
それは短く要約できるものではないが、たった今の日本のこの惨状を理解するには知らないでは済まない。
3月11日の前に書かれていたこの本の邦訳刊行が時宜を得ていることは言うまでもない。
30年以上にわたり原子力問題を追いつづけている著者ステファニー・クックは、我々のこの日のためにこの大著を用意しておいてくれた。
話の始まりはヒロシマとナガサキで暮らしていた人々の上に落とされた原爆である。
核エネルギーという新しい技術の開発に関わった科学者と技術者は(それにたぶん一部の政治家も)、自分たちが作ってしまったものの威力に脅えた。
戦争が終わった段階ですべてを無に帰してしまいたいと思った者もいた。
しかし、一度つくったものを消滅させることはできない。
そういう時期に「核エネルギーの平和利用」が提案された。関係者は心の内なる罪悪感も手伝って、その実現に力を貸した。
一見したところ悪魔と思えた子が天使を連れてきたと知って喜んだ。
しかし実際にはこの双子は二枚の仮面をかぶった一つの人格だった。
どうやっても切り離せないのだ。天使は実は悪魔だった。
そこのところを隠蔽して育ったから、原子力に関わるテクノロジーは秘密の多い、非民主主義的で市場原理にも反する、ひどく不健全な育ちかたをした。
同じ時期にここまで普及して文明の指標となった自動車産業などと比べてみれば、原子力の病的性格は明らかだろう。
いや、ぼくは先を急ぎすぎた。これは要約してしまってはいけない物語だ。
自分たちの倫理能力を超えるものに手を付けてしまった人間たちの、苦悩と敗北の跡を著者と共に辿ってほしい。
池澤夏樹
ローリングストーン誌の開沼博インタヴュー記事を貼っておきます。
http://www.rollingstonejapan.com/politics/hiroshi-kainuma/
この人の本を、腰を据えてじっくり読む必要がありそうです。
幾つになっても、本当に迷い続けなければならないのですね。
なんとも哀しい人の性(さが)です。
ちょうど自民党が過半数を超える勢いという選挙予想が発表されタイムリーな内容でした。
彼が一貫して言っているのは、この国の変わらなさです。
それは震災による原発事故前も、そしてあれから一年半以上経過した現在もです。
私たちは、あのカタストロフィーの衝撃を受けて、この国は変わるだろうと圧倒的な悲劇の後に光明を見い出そうとしていました。
それは確かに、彼が手厳しく批判するように、ある種の信仰のような(再宗教化された)希望かもしれない?
それでも絶望的な荒廃の風景の後には再生を信じたい。
残念ながら開沼博は、延々と変わらない風景を私たちの前に提示する。
それは夏に福島を訪れたときにも私自身が感じた違和感でもあった。
震災後も原発立地自治体は、以前と変わらず原発を推進してきた保守系の議員や首長を再選させている。
被曝した福島でさえ脱原発系の議員は落選している。
この衆議院選の福島の情勢分析をみても、軒並み自民党議員の圧勝が予想される。
本当に、この国の変わらなさは絶望的だ。
開沼博は「終わりなき日常を生きる」という宮台真司の言葉を何度も引用する。
物心ついた頃から右肩下がりの不景気のどん底で、希望など初めから見出せなかったと吐き続ける。
あなたのリアリティは判ったけれど、希望の光のない日常の繰り返しは辛過ぎないか?
それでもう一冊、以前から気になっていた小熊英二の「社会を変えるには」を平行して読み始めている。
関沼博の挑発的な言説は、それなりに示唆的ではあるが、何の解決にもならないというレベルでは彼の批判する輩と変わらないように思う。