明けて25日。
夢のなかで、母の臨終のときに戻り、やり直せるかと淡い期待を抱いたが、
やはりダメだった。
そして、またしても小野不一さんの記事、大橋力「音と文明、音の環境学ことはじめ」から辿り着いた。
これこそ聖なる日(クリスマス)そして母なるものに捧げる魂の歌声(ソウル・ミュージック)
もうひとつ、J.S・バッハの平均律グラヴィア曲集第1巻第1番ハ長調にグノーが旋律をつけたもの。
小野さん、私は森で過ごす時間が多いので、この本の紹介に共感を覚えます。
森は様々な音に溢れています。
結構、賑やかです。
でも、それは都会のように不快な音じゃない。
それは、あえて音を意識させないような耳障りの好い響きです。
ぜひ、深い森のなかで朝の目覚めから夜のしじま、まで過ごしてみてください。
世界との繋がり「縁起」を身体感覚として実感できますよ(笑)
記事「光の道」ありがとうございます。
ランスケさんのお父様、お母様への想いとご供養の気持ちは立派です。実際にこの一年、実践されておられます。そして何よりも亡きご両親への「おもいやり」の気持ちが、心の中で葛藤しながらも日々大きく成長されていると推察致します。
私は、母と一万キロも離れての暮らしが40年、年に5回前後は顔を出していますが、ちょっと複雑な気持ちになりました。
今週、母と40年ぶりに正月を共に過ごす為に帰国します。
ランスケさん、ご健康でご多幸の新年を迎えます様、心からお祈り申し上げます。
もう一年、まだ一年の感がおありでしょう。
後悔と悔恨の日々だと思いますが、それだけでは、前に進むことができない。
そんなランスケさんをお母さんは見たくないと思っておられるでしょう。
供養しながらしっかりと生きていくことが大事ですよ。
これからも音楽、山行、読書、映画鑑賞などなど、素晴らしいランスケワールドの発信を望んでいます。
切っ掛けになれば、それは、とても嬉しいことです。
私の母は2歳で親に捨てられました。
養母となるハマノおばあさんに預けられ、ずっと親元から離れて育ちました。
母は成人してから離縁して他家に嫁いだ実母と再会します。
そんな親でも母にとっては恋しかったのでしょう。
父と結婚してから母は、この実母の住む街へ転居して、
失われた時間を取り戻すかのように傍で暮らしたのです。
勤めもあっただろうに、母の我がままを許した父も偉かった。
どんな辛い想いを過去にしたにしても、自分を産んでくれた人の存在は、
かけがえがない。
きっと毎年12/24が近づくと、私はまた平常心を失い取り乱すでしょう(笑)
明けた25日は、まるで憑き物が落ちたようにケロリとしているのに。
村井さん、お母様との時間を大切に。
拝見して安心しています。
読書家の鬼城さん、やっぱり入院中にとっぷり浸っていますね(笑)
病院のあの環境は、まさに理想的な本読みのための空間です。
(本当に時が緩慢に流れてゆく)
お見苦しいところをお見せしました。
この一週間、なんともナーヴァスになっていました。
村井さんのコメントにも書いたように、きっと毎年これは繰り返すと思います。
そして明けた25日は平常心に戻っているはず。