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また一年という周期が巡り来た。
それは単なる時間の経過であって、
2010年12月24日という日が、もう一度巡り来るわけじゃない。
過去の時間をいくら悔いても詮無いこと。
それは充分に承知している。
もう決して後戻りしないと言ったじゃないか。
でも、やっぱりダメだ。
もう一度、あの日をやり直したい。
切実に思う。
2010年12月24日23時30分に時計の針を巻き戻したい。
母の臨終の時に立ち会い、その手を握り締めていたい。
意識は戻らなくても、その耳元で「母さん、母さん」と囁き続けていたい。
最愛の人の命の灯が消えようとする瞬間に寄り添いたい。
切実に、そう思う。
なぜあの日、病院に戻らなかったのか?
24日当日のブログにも「もう絶対後悔はしない」と明言したじゃないか。
もう止めよう。
自己憐憫だ。
醜悪だ。
今日は朝から霙交じりの寒い一日だった。
どうせ家にいても後悔の念に苛まれるだけと承知していた。
あえて今日は夕方まで仕事をした。
そして今は、仏壇のある居間にノートパソコンを持ち込んで遺影の前でキーボードを打ち込んでいる。
今夜は、この居間に布団を持ち込んで眠るつもりだ。
間もなく23時30分を迎える。
静かに、その時を待とう。
そして、同じ体験をした臨床医矢作直樹氏
人は死なない(ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索)
東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授・矢作直樹著。
という本を今読んでいます。
母の死の項目。では
同居を望まず一人暮らしの母親が自宅のお風呂で、心臓発作を起こしそのまま亡くなったことが書かれています。
孤独死は避けられなかったとしても、もっと早く見つけられなかったかという慚愧の念に堪えられなかった。
と胸中が、書き綴られています。
母との再会の項目。では
暫くして、友人のEさんという方から朝電話があり。(彼女は60歳代の非常に強い霊能力をもった人なのですが、自身の能力については長い間口外することはなかったそうです。)
Eさんはいつもと違う話し方で
「実はあなたのお母様のことなのです」
「はっ?」
「矢作さんと先日お会いした後からお母様が矢作さんのことを心配されて、息子と話したい、と私にしきりに訴えてこられるのです」
それを聞いたわたしは、心中「ええっ、まさか」と驚き俄に信じる事はできませんでした。
いわゆる「交霊」に関する事例は幾多の心霊研究の文献で紹介されていて、私も知識としてもっていましたが、いざ自分の身内がらみのことになるとやはり驚きを禁じ得ませんでした。(中略)
交霊が始まって母との会話は、驚くべき内容で母と家族にしか解らないこと、そして亡くなる前後のことなど色々な事実が、Eさんから生前の母の口調で淡々と話されたそうです。
驚く事にEさんと、お母様とは、一面識も無かったそうです。
まだまだ訊きたいことは色々ありましたが、私はなぜか直感的に世俗的な興味で母を引きとめてはならないような気がして、別れのときがきました。
そしていよいよ最後の会話です。
「後のことは心配しないでね。」
「わかったわ。兄弟仲良くね」
母は安心したように、大きく頷きながらそういいました。
「大丈夫ですよ」
「そう」
「じゃあ、これでもうこちらには来ないですね?」
「ええ、お別れよ。元気でね」
母のまったく未練がましくなく晴れ晴れとした口調に、私は、一瞬拍子抜けしました。
親が子をぽいっと突き放す、動物の子別れのようでした。私は、万感の思いを込めていいました。
「お母さんも元気でいてくださいね。さようなら」
以上、人は死なないの(文中からの引用あり)
ランスケさんのお母様も、私の母親も矢作さんのお母様が言ったことと同じようなこと言いそうなきがします。
人間、愛がなければ生きていけません。
ランスケさんも私も全て両親から生まれています。父、母の魂もすべて自分の中にあります。
永遠に一緒にいます。
あなたの友情に感謝します。
夕方、少し電話で話したように、
私は母の死の間際に息子の薄情さを感じ取った母に許されていない
のではないかと恐れています。
その霊媒師の口からでも良い、
母からの許しの言葉が聞きたい。
昨年12月最後の記事「MOTHER」を読み返し、
母が、その苦しみから解放されたのなら臨終の瞬間に立ち会わなくても良い。
書き綴っている自分自身に驚きました。
それと比べて、なんと情けない低落です。
自己憐憫、自己満足…
なんとも私の業は深すぎる。