Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

三月の声を聴けば

2012-03-04 | 生活、環境

 

 一年という月日は、様々なものを置き去りにしていってしまう。

 恐れや憤り、胸の張り裂けそうな喪失感、あがない切れない後悔さえも。

 

年が明けてから、ずっと何か大事なことを忘れているんじゃないかという思いに捉われていた。

二月が過ぎても、それは消えなかった。

三月の声を聴いて、やっとそれが何だったか思い当った。

2/21。母の誕生日を失念していた。

何と情けないこと。母が逝ってわずか一年足らずで亡き人を偲ぶ大事な日を忘れるなんて。

私の覚悟なんて、その程度のものだ。

仏前にて詫び、10日後の桃の節句に華やかな春の花々と母の好きだった洋菓子や和菓子を手向けた。

 

 

 

 

先週、民間事故調査委員会の福島第一原発事故の中間報告が発表された。

マスコミで広く取り上げられ話題を呼んだ。

事故の第一原因を「菅総理の場当たり的な対応にある」とする結論に

マスコミ各紙は便乗して、それみたことかと「イラ菅」を槍玉に上げる。

しばらくインターネットでも、この論調が続いた。

 

私は、どうしてもこの動きに(結論に)納得ゆかなかったし強い不信感を覚えた。

その後も、インターネットの動きや過去の新聞記事そして同日に発表されたグリーンピースの事故調査発表などを追っていた。

特に朝日新聞が、ずっと連載してきた「プロメテウスの罠」という原発事故の追跡記事を毎日欠かさず読んできたという経緯から

この民間事故調査委員会の結論は、多くの証言との食い違いが目立ち意図的な作為を感じずにはいられなかった。

そして何より、事故の当事者である東京電力から何も証言を得られていないという

調査報告としては決定的な欠陥があった。

その他にも政府の原発事故調査・検査委員会の一員である九州大学副学長の吉岡斉氏による

「原子力事業者が、よくもこれだけ何もやってこなかったなということです。間違ったことをしたというより、

やるべきことをしなかった。不作為が最大の問題です」という目から鱗の指摘。

チェルノブイリ事故以来、欧州各国が取り組んできた原発事故への危機管理に対して

日本がやってきたのは「原発安全神話」という盲目的な安全性への信奉と囲い込みばかりで

何ら具体的なシビアアクシデント(過酷事故)への対策が取られなかったことが事故の最大要因であることは疑いようもないのだから。

 

さて3/2付のブログ記事民間をかたる原発村の事故調査委員会」(逝きし世の面影)より。に遂に待望の告発記事を発見。

私のまとまりに欠ける文章よりも、この記事を一読すれば、この作為的な事故調査委員会の意図が判ります。

是非みなさん御一読を。


池澤夏樹の「春を恨んだりはしない」を読了。

震災を巡る作家の想いに深く共鳴した。本の紹介は後日。

アマゾンのブックレビューを張っておきます。


東日本大震災から半年経った。災害直後のショッキングな映像とそれ以降の復興キャンペーンの報道洪水のなかで、感情ばかり消費されているような疲労感が今の私にある。

一種の虚脱感と思考停止状態から、本書は正気を取り戻させてくれる。あの災害の意味をじっくり考える視点を提供してくれる。
著者の語り口は激情を抑えてあくまで静かに自分と対話するように進行していく。本書を読みながら、私は柳田国男の「清光館哀史」を思い出した。

柳田国男は東北の旅の一夜を寒漁村の小さな旅館に泊まる。十数年後再び訪れたとき、旅館は消えて更地になっていた。村人に尋ねると、幾年か前に火災に遭ったという。

柳田はこのとき人の世の本質を了解し満腔の感慨を抱く。言葉にすれば、「無常観」とも「もののあわれ」ともなるだろう。
今回の震災ではいくつもの町が町ごと消滅し、2万人もの命が奪われた。それはまだ生々しく現在形のままでとうてい整理のつくものではない。

しかし、古来、日本列島は災害の多い土地である。規模の大小はあれ無数の災害を繰り返して我々の中には「無常」の世界観が息づいている。そこには鎮魂も希望も含まれているはずだ。
鷲尾和彦氏のモノクロの写真が素晴らしい。津波に遭った廃墟の土地とそこですでに始まっている命の営みが、千年単位の時間のなかに切り取られる。
福島第一原発事故に対する著者の態度は明確である。脱原発というよりも反原発である。

物理学徒としての知識がそれを裏づける。我々はパンドラの箱を開けてしまった。だが、それは甘受すべき無常ではない。

我々の意思によって避けえた災害である。事故が起きる前からの著者の一貫した主張は強い説得力を持つ。

 

プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実
朝日新聞特別報道部
学研パブリッシング

 

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
鷲尾 和彦
中央公論新社



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3 コメント

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「ぞっとした」発言の真意 (ランスケ)
2012-03-05 19:07:00
帰宅して再びリンクを張ったブログ「逝きし世の面影」を開けると吃驚。

「菅総理自らがバッテリーまで指示する様子にぞっとした」と発言した当人の下村氏がツイッターで以下のように発言しています。

下村健一‏@ken1shimomura
【民間事故調/2】まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。

【民間事故調/3】私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。

マスコミ各社は、このとんでもない誤報に、どう対処するでしょうね?
いざ有事(イラク戦争参戦や原発事故)になると、日本のマスコミは相変わらず
「大本営発表、右に倣え」報道を繰り返していますからね。
返信する
諸行無常 (ホッホ)
2012-03-09 00:14:44
ひらひら
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎

ラッシュ・アワーをごらんよ
今朝もまた見出し人間の群れが
押し合いヘし合い出かけて行くよ
商売 取引 うまく行くのは
ほんとうの話じゃなくてどこかで仕入れた噂話
用心しろよ 用心しろよ
ああ そのうち 君もねらわれる
 おいらもひらひら お前もひらひら
 あいつもひらひら 日本中ひらひら
 ちょいとマッチを擦りゃあ 
 燃えてしまいそうな
 そんあ頼りない 世の中さ
 おいらもひらひら お前もひらひら
 あいつもひらひら 日本中ひらひら

3.11がやってくる。政治家も官僚も国民も
ひらひら ひらひら 
私が被災者にしたこと僅かな義援金。

NHKスペシャルでみた東日本大震災の記録。
被災者の父親が娘が津波にさらわれたその日からつけ出した日記。
3.11○○子連絡とれず。3.12○○子連絡とれず
3.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25
ずっとつづく、○○子連絡とれず。・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
返信する
再稼働するということは (ランスケ)
2012-03-09 21:37:46
ホッホさん勇気ある書き込みありがとう。

皆さん、原発は危険だと認識しながらも、もうそんな暗い話題ばかりうんざりだと眼を背けていませんか?

あれから1年経ったんだから、そろそろ原発を再稼働させて以前のような生活に戻りたいと思っていませんか?

瓦礫の受け入れに反対した市民グループのように、結局私たちは負担(リスク)をフクシマばかりに押し付けて
自分たちは安全なところで恩恵を享受して平気な顔で暮らしている。
沖縄ばかりに負担を押し付ける普天間の論理と同じです。

原発が再稼働するということは、これからも際限なく使用済み核燃料(原発から出たゴミ)を
プールの中で管理していかなければならないということです。
再処理というシステムが完全に破綻してフィクションと化してしまった以上。

この途方もないリスクを、皆んなで公平に負担し合おうという計画があります。
例えば、最大の電力消費地である東京や大阪の大都市には、その消費量に見合った原発のゴミを受け入れてもらおう。
それは各電力供給エリアでも同様で四国ならば松山や高松は、それに見合った原発のゴミを負担する。

これは素晴らしいアイディアだと思う。
原発は危険だと認識しながらも、そのリスクから遠いところで経済活動を最優先する人たちにも、
平等にそのリスクを担ってもらおう。
プルトニウムは半減期2万5千年。
半永久的に放射能漏れの恐怖に怯えながら、これからは暮らして行くことになる。

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