墓参りへ行くと、ほぼ一日仕事になる。
愛媛県南西部の河口の街までの移動距離ばかりでなく、
父母の眠る墓、祖父母や曽祖父母の墓そして我が家の御先祖様の墓所まである。
三カ所の墓所を掃除して水を替え花を供えお線香をあげてお祈りしていると西日の傾く時刻。
朝出発して家に帰ってくると、日もとっぷり暮れている。
面倒な仕事と億劫に思っているか、というと…そうでもない。
春秋の彼岸と夏のお盆の年三回は、残された私のお勤めだと思っている。
なにせ古い墓所なので放置しておくと荒れ方が半端じゃない。
一昨年の夏は東北方面への自転車旅で弟に頼んでおいた。
旅から帰ってみると、忙しくて行けなかったと言い訳をする。
その放置した結果は、秋彼岸の茫々と夏草に埋もれた藪のような荒れ様だった。
今回も冬の間に土砂崩れでもあったのか?という荒れ様。
後で和尚さんに聞くと裏山の猪が原因らしい。
増え過ぎた鹿による被害も相当なものとか。
墓所のあちらこちらに落葉やどんぐりに混じって鹿の糞も多かった。
まず崩れた土砂や倒木を片付け、暖かくなって生えてきた草を一本いっぽん抜いてゆく。
粗方終わると、裏山が鬱蒼とした照葉樹の森なので落ちてきた枯葉や枯れ枝やどんぐりを箒で集める。
掃き掃除が終わると水洗い。そしてお供えの水を替え花や樒をいける。
線香に火を点けて墓前にお供えして、ひとつひとつの墓石の前に佇みお祈りする。
御先祖様の墓所は幼児や赤子と思われる墓碑銘も多い。
本来、動物も人も生き物は、乳幼児の頃の死亡率が最も高い。
一昔前の日本は、当然そうだったのだろう。
そして私が今、ここに在るということは、
目の前の墓石に刻まれたひとりひとりの命が繋がってきた結果なのだから。
刻まれた墓碑銘の戒名をひとりひとり呟きながらお祈りする。
それが残された墓守の勤めだと思う。
唯、私と弟が居なくなると、この墓を守る人はいなくなる。
そのことも考えておかないと。
まだ私が元気な内は、墓守の勤めを継続したい。
遥か遠い昔から脈々と繋がってきた命の連鎖がないと、私という存在はあり得ないのだから。
近くの場所のもの10人・・・
口をそろえて言うことは、宇和島が懐かしいということ。
歳と共にそんな感じがするのでしょう。
昔の子どもたち、今の子どもたち、明らかに違うのは「家」という観念・・・
この意味は家柄では無い、
家という歴史と言っても良い。
自分が今ここの居るのは先祖が居たから・・・
先祖、お墓を大事にすることは大切だとつくづく感じた夜でした。
この日、東京からの教え子も中心となって楽しみました。
日曜日の国道沿い風景も、法花津峠辺りから、ちらほらと山桜の薄茶の若葉と桜色の
春らしい彩が山肌に見受けられました。
掲載した桜の画像は、岩松川沿いの桜並木に混じった山桜の花です。
愁傷なことを書いていますが、
失ってみて初めて判るありがたさ…ですね。
教え子の皆さんも、遠く故郷を離れて生まれ育った土地の持つ意味を再認識されたのでしょうね。
私も両親を亡くす以前は、先祖供養など考えてもいませんでした。
父母を送り出し幾度かの法要と墓参を重ねてゆく内に、血縁の意味を理解し始めました。
でも皮肉なものです。
それに気づいた時には、もうこの先祖の墓所を守ってゆく人は誰もいない。
という近い将来おこる事態に気づかされました。
永代供養への切り替えも元気な内にやっておかないと。
若い頃は、自分ひとりで生きているように錯覚してしまいがちです。
でも、この世界は単独で生きている生物は何処にも存在しません。
自分の身体の中でも、数兆の腸内細菌という微生物と共存しているのですから。
植物の光合成からバクテリアに至るまで生命の連鎖と共存という理(ことわり)の中に
自分という存在が、たまたま奇跡のように在る。
衆生(衆縁所生)ですね。
墓参の後は、どうも話が抹香臭くなってしまいます(笑)