宇和島高女一年生(左後が母)
思い掛けないところから母の少女時代の肖像が、現実的な手触りを伴なって甦ってきた。
四十九日の法要後、宇和島での出来事を記事に書いたことが切っ掛けだった。
そのブログ記事「母の帰郷」に寄せられたカタックリさんのコメント、
母が少女時代を過ごした宇和島の旧富澤町の所在をめぐる書き込みが
発展して宇和島在住のkyoichさんからEメールが届いた。
kyoichさんとは以前からHP「石鎚山の四季」を介して交流があり、
学生時代を石鎚界隈(特に瓶ヶ森の風景を愛されていた)で過ごした山ヤさんだ。
(kyoichさんのブログ「kyo-chanブログ」はブックマークからどうぞ。)
旧富澤町の所在をめぐるkyoichさんとのメールの交換が、意外な方向へと発展した。
kyoichさんのお母様と私の母が宇和島高女の同級生だったという事実が判明。
この不思議な縁(えにし)に私の好奇心が俄然頭をもたげる(笑)
想像力の翼は羽ばたき、「母の郷愁の風景」へと舞い降りる。
kyoichさんのお母様は「悦子さんだ」と母の名前を自ら思い出されたようだが、
私の母は短いセンテンスでしか言葉を紡げない。
その言葉を繋ぐと「懐かしい少女時代の風景」が母の遠い視線の先に甦る。
休日の朝は「母のアルバム」探しに奔走した。
一度火のついた好奇心の炎は、箪笥の奥に仕舞われた旧いアルバムの
在り処(ありか)を執念で探し当てた。
開いた旧いアルバムからは、母が短い言葉で語っていた風景が
その百倍の情報量を持って私の頭に飛び込んでくる。
宇和島愛和幼稚園の卒園写真(なんと母は幼稚園児の頃から親元を離れていた)
明倫小学校の写真、富澤町の写真(養母となった浜野おばあさんの写真)
宇和島高女のクラスメートたちとの華やかに花開く少女時代の肖像。
そしてアルバムの最後には成人してから再会した実母の写真が…
写真中央が小学5年の母
旧いアルバムからは、懐かしく切ない母の物語が、甘酸っぱい香りを伴なって
胸に迫ってくる。
初盆の法事の後、再び母をこの「懐かしい少女時代の風景」の在り処に立たせてみたい。
思い掛けないところから母の少女時代の肖像が、現実的な手触りを伴なって甦ってきた。
四十九日の法要後、宇和島での出来事を記事に書いたことが切っ掛けだった。
そのブログ記事「母の帰郷」に寄せられたカタックリさんのコメント、
母が少女時代を過ごした宇和島の旧富澤町の所在をめぐる書き込みが
発展して宇和島在住のkyoichさんからEメールが届いた。
kyoichさんとは以前からHP「石鎚山の四季」を介して交流があり、
学生時代を石鎚界隈(特に瓶ヶ森の風景を愛されていた)で過ごした山ヤさんだ。
(kyoichさんのブログ「kyo-chanブログ」はブックマークからどうぞ。)
旧富澤町の所在をめぐるkyoichさんとのメールの交換が、意外な方向へと発展した。
kyoichさんのお母様と私の母が宇和島高女の同級生だったという事実が判明。
この不思議な縁(えにし)に私の好奇心が俄然頭をもたげる(笑)
想像力の翼は羽ばたき、「母の郷愁の風景」へと舞い降りる。
kyoichさんのお母様は「悦子さんだ」と母の名前を自ら思い出されたようだが、
私の母は短いセンテンスでしか言葉を紡げない。
その言葉を繋ぐと「懐かしい少女時代の風景」が母の遠い視線の先に甦る。
休日の朝は「母のアルバム」探しに奔走した。
一度火のついた好奇心の炎は、箪笥の奥に仕舞われた旧いアルバムの
在り処(ありか)を執念で探し当てた。
開いた旧いアルバムからは、母が短い言葉で語っていた風景が
その百倍の情報量を持って私の頭に飛び込んでくる。
宇和島愛和幼稚園の卒園写真(なんと母は幼稚園児の頃から親元を離れていた)
明倫小学校の写真、富澤町の写真(養母となった浜野おばあさんの写真)
宇和島高女のクラスメートたちとの華やかに花開く少女時代の肖像。
そしてアルバムの最後には成人してから再会した実母の写真が…
写真中央が小学5年の母
旧いアルバムからは、懐かしく切ない母の物語が、甘酸っぱい香りを伴なって
胸に迫ってくる。
初盆の法事の後、再び母をこの「懐かしい少女時代の風景」の在り処に立たせてみたい。
何度か美しい石鎚山系の写真の掲載をお許し頂いたことに対して、宇和島のことなら何とかお力になれないかと思っただけでしたが、思わぬお袋の青春時代の郷愁へと場面は変更しました。
最近のことはともかく、昔のことは驚くほど鮮明に思い出します。それを話すのが楽しいようです。
アルバムも持ってきていないのに、Doiさんの名前は「Etukoさんだった」と言ったり、色の白いきれいなお嬢様だと言ったり、「Utiyamaさんと仲が良かった」と言ったり・・・・。
それにしても、ブックマークへの登録は余りにも畏れ多いです。
せっかくの上質なブログが、小生のブログアップで質を落としてしまいます。小生も、緊張して滅多なことが書けなくなります。
嬉しいことですが、6月中の期限限定ということにしていただければ、気が楽にないます。(笑)
それよりも、今後とも気持ちよく石鎚山系の写真を借用させていただければ、この上もない幸せです。もちろん、事前了解は今までどおり取ります。
これからも、貴兄のすばらし感性から醸し出される文章に触れることを楽しみにしちます。
kyoichさんとのメールの遣り取りで、思わぬ手触りを持って
目の前に立ち上がってきました。
Eメールにも書きましたが、ミステリーを読み進めるような
高揚感に揺り動かされた一週間でした。
外の世界に、ほとんど興味を示さなくなった母にとって、
唯一の関心が、この旧富澤町で過ごした時代の風景です。
本当にkyoichさんとお母様には感謝感謝です。
kyo-chanブログは謙遜されていますが、
「思想は血だ」という懐かしい言葉を思い出させてくれる
kyoichさんの志(こころざし)が随所に感じられます。
kyoichさんの綴る言葉に「はっ」とさせられることが幾度もありました。
どうか何時も通りの照れと軽口を交えたkyoichさんの日常を綴ってください。
楽しみにしています。
ただ赤面するのみで言葉が出ません。
せめて、お言葉を励ましに、気楽にやっていきます。
kyo-chanブログの方にコメントを書き込みました。
介護の負担は私の×2なのに、照れと軽口で、
さらりと受け流すkyoichさんに連帯とエールを込めて。