初夢
2011-01-02 | 家族
初夢は大晦日から元旦にかけてみる夢ではなく、
元旦から二日の朝にかけてみる夢らしい。
ずっと母が私の夢に現われてくれるのを待ち続けた。
もう二度と会えないのなら、夢だって好い。
夢のなかで失われた母との時間を取り戻そうと切望していた。
でも、なかなか母は現われてくれない…
やっと昨夜の夢のなかに、母は登場した。
母は病床で苦痛を訴える。
私は、何もしてやれない。
もどかしい…でも又しても私は母に応えることが出来ない。
夢のなかでも、私は母を見捨ててしまった。
母の死から立ち直りが早かったと錯覚していた。
母の最後の数日間、私は幾度も日常生活の煩わしさに事寄せて
母を省みなかった…
自分自身の酷薄さを思い知った。
母が一番私を求めているときに、私は母を省みなかった。
あの容態急変の知らせを受けたときも、
母は、包み込んだ私の手を、そっとすり抜けた…
母は私の酷薄さを許してくれなかった。
臨終の時だって、主治医から点滴を止めると宣言されたその瞬間から
病院へ駆けつけていれば、あの生命の灯が消える瞬間に立ち会えた筈。
母は私の酷薄さを見抜き、決して私を許してくれない…
まんまとお母さんの術中にはまって、良かったーなーて思います。
こうすれば、息子はこう思うだろと思うのは母親ににとっては簡単な事。掌中の玉、愛しい息子と共に想いの中に生きるのは母親にとって最高の幸福。今、毎日毎日供養のまっただ中にいますね。幸いなことです。
しかし、自虐的に捉える息子であっては欲しくないと思われています。間違いなく。
毎日毎日、楽しかった日々を想い出して供養としてください。それが何よりのお母さんの喜び。
そして何よりもポジティブに生きるランスケワールドのファンの願い
正直後悔しています。
心の内に秘めておくべきことでした。
確かに読む人にとって、鬱陶しい…
自虐のツボにハマってますね。
迎えた新年早々、前向きな自分自身に、
どうしても拭い切れない違和感を覚えます。
そんなに簡単に母の死を乗り越えられるのか?
過去の思い出と現実のギャップに自分を置いてそのジレンマに捕らわれているような気がします。
心の中に秘めているのはかえって良くないと思います。
弱音、大いにアップしてください。
理解してくれる(完全とは言えませんが・・・)ランスケワールドの仲間も居ますからね。
暖かくなって四国遍路の写真集、石鎚の四季など期待している人も居ますよ。
kyo-chanさん初めまして 、鬼城さん 懐かしい故郷のブログ拝見させていただいていますが
中々コメントが入りません。すみません。
ランスケさんの初夢
ランスケさんが あまりにも優しいからそう自分を追い込んでしまうんですね。
kyo-chanさん、鬼城さんの仰るとおり 「毎日毎日、楽しかった日々を想い出して供養としてください。それが何よりのお母さんの喜び。」
そうですね、kyo-chanさんは 母親の気持ちをよくわかっていらっしゃいますね。
私も 3人の母ですが こんな風に供養してもらったら嬉しいです。
ランスケさん
お四国参りの計画もできているようですね。
1日 30キロですか~!
私の山の知り合いも 30日位かけてお参りした方がいらっしゃいます。
ランスケさんなら 大丈夫ですね。
応援していますよ。頑張ってくださいね。
私は 今日から仕事です。
忘れたつもりでも、意識下ではじくじく傷口は癒えていなかったようです。
夢の形で露顕した忸怩たるものに思い知らされました。
そうですね…自分の後悔の念を誤魔化してみても、
決して良い結果は得られませんよね。
kyoichさんの云うように時間を経ることしか近親者の死を
乗り越える方法はないのでしょうね。
明日、役所の手続きのため、バスで宇和島へ行きます。
伊達博物館へも寄らせてもらいますね。
kyoichさんは忙しいから会えないかな?
鬼城さんへの返信で書いたように、自分の気持ちを
誤魔化さないで消えない後悔の念は、そのまま受け入れて
時間が癒してくれるのを待ちます。
30日でお遍路を廻るのは凄いですね。
小学館文庫から出ているニュージーランド人の山岳ガイドの
四国遍路紀行文を随分昔に読みました。
彼は、ほとんど野宿で廻り30日くらいで結願した筈。
30日だと一日50kmくらい歩かなければなりません。
毎日フルマラソンを越える距離…う~ん私には無理だぁ~
とにかく毎日歩けるために、少しづつ身体を慣らしてゆきます。
明日は、かみさんに付き合う予定にしていましたので、時間の許すときに行く予定です。時間が合えば良いのですが。何時ごろになりますか?
携帯へ連絡を入れます。
役所の手続きが終わると、念願の宇和島写真散歩を愉しむ予定。