梨木香歩の「不思議な羅針盤」を読んでいてSustainability サスティナビリティ という言葉に出会った。
用語解説で貼り付けたウィキペディアが示す通り、「持続可能な」という、限られた資源のなかで生きてゆくための指標となる大事なキーワードだろう。
それは「さよなら原発1000万人アクション」でも謳われいる。
放射性廃棄物の処理が100%不可能な原発には「持続可能」という概念は、まったく当てはまらない。
署名を終え郵送して、とりあえず一息ついた。
少し肩の力を抜いて瀬戸内海に浮かぶ小さな島・祝島の人々の暮らしと北欧のスウェーデンが選択した暮らしを題材にした
ドキュメンタリィ映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を紹介しましょう。
と振り返ると不思議な気持ちになります。
私は至って死には淡泊な方だと思っています。
今突然、事故で自分が死んでも、それを受け入れられるし、癌で余命1年だと宣告されても、
きっとそれなりに残された時間を生きてゆくだろうと思っています。
やっぱり一昨年相次いで父母の死を看取り、その重さに耐え切れなかったこと。
そして震災の夥しい死を悲しみの声を見つめ聞いたことが大きく作用しているのかもしれません。
人の生命は儚くて、それを受け止めることは重過ぎます。
原発を推進し、そのエネルギーの象徴する文明の目指すものは、人の命や大地や海を育む豊かさとは対極にあるものです。
それは原子力ムラの人々との対話のなかで厭というほど痛感してきました。
この理不尽さが、きっと耐えられないのでしょう。
私が愛するものや風景とは決して相容れない価値観。
先日の世論調査では再稼働に反対の人が8割にも達しました。
今、この時期こそ原発を止める唯一のチャンスだと信じています。
説明すると、自分の死は受け入れられるが、それ以外の死は受け入れ難いということです。
まったく矛盾しているように思われるでしょうが、それには理由があります。
でも、それを判りやすく説明するのは難しい。