
ずっと祈りの風景を撮りたいと願っていました。
でも人が無心に祈る姿を、不躾に横合いからカメラを構えることなんか出来ません。
祈りは人間の根源的な「動詞」。
宗教性の最も原初的な領域だからです。
幸い、四国は「お遍路」という巡礼者を寛容に受け入れてきた伝統と文化があります。
気候のいい春と秋には、多くの巡礼者が四国を訪れます。
散歩の途中にお遍路さんに声をかけ、一枚の写真を撮ることは可能でしょう。
スナップ写真としてなら。
もう一歩踏み込みたい。
不躾を覚悟で、無心に祈るその横顔に。
宇和島のkyoichさんが今秋、 お遍路を発心された。
お母様を昨年亡くされ、供養のお遍路だ。
まだ叔母様の介護が必要なため通し遍路は出来ない。
収穫を終え、農作業の一段落ついた秋から区切り遍路を始められた。
四国遍路は、何処から始めてもいいという融通性がある。
四国に在住する私たちは、自宅から出発して、
近在の札所からスタート出来るという恩恵を有している(笑)
そして一月後、2回目のお遍路に旅立たれた。
これは願ってもいない機会。
連絡して46番札所、浄瑠璃寺でkyoichさんを待ち構える。
元山ヤさんは自力が違う。
昨夜は明神の東屋で野宿したらしい。
久万高原の冷え込みは厳しかったであろう。
でも御本人は、至って涼しい顔で足取り軽く登場された。
「途中、窪野の集落でお接待を受けていた」
とニコニコ終始笑顔。
このkyo-chanスマイルが曲者である(笑)
この人たらしの笑顔の前には、出会う人たち皆、幸せそう。
遍路道で出会った散歩中のお爺さんも、
農作業の叔母さんたちも、
お参りに訪れたお婆さんも。
みんな蕩けるような笑顔でkyoichさんに応える。
う~ん、人徳だ。
今日一日は、自称kyoichさん専属のカメラマン。
そのお遍路姿を不躾にも、あらゆる角度から撮らせて頂いた。
「あっ、そこで止まって」
「はい、そこに立って」
と傍若無人な振る舞い(汗)
どうか御容赦を。
46番、浄瑠璃寺から51番、石手寺まで。
執拗なシャッター音に閉口したことでしょう。
厭な顔もせずにお付き合い頂き恐縮です。
晴天の予報が、あいにくの曇り空。
真っ青な秋晴れの空を背景にお遍路姿を撮れなかったのが心残り。
でもその無心な祈りの風景には、
何度もファインダー越しに快哉を叫びました。
感謝。感謝。
夕映えの石手寺回廊で撮った一枚は、まさしくkyo-chanスマイル。
そして黄昏の街を次の札所、太山寺へと向かう後ろ姿にパチリ。
「どうか、よい旅を」
新しい靴もぴったりで、軽やかな足取りのように感じましね。四国遍路は、途についたばかりです。無理をしないで肩の力を抜いて歩いてください。
一向にkyoichさんから返信がないので、とりあえず私が。
あっ今、kyoichさんからメールが届きました。
どうもスマホのバッテリー残量不足のようです。
今夜は、また野宿ですね。
どうか、この寒空の下、風邪を引きませんように。
旅の行方を見守りましょう。
Kyo-chanからのメールでランスケさんの光のこだわりに驚いたと・・・
このように記録すると慰霊の旅も一つの物語になりますね。
さすが、Kyo-cahnの良いところを引き出しています。この笑顔もくせ者ですが・・・(爆)
今日は今治でしょうね。やはり歩き遍路は、適切なアドバイスと心、足下をはじめ、周到な準備ですね。
良い歩き遍路旅になりそうですね。
kyoichさんと半日同行して、出会う人々が満面の笑みを浮かべているのに驚きました。
「あぁ、これだ」
と倉本聰の言葉を思い出しました。
その天性のkyo-chanスマイルにお遍路装束が加われば、鬼に金棒です(笑)
旅の醍醐味は、TVや雑誌の定番である「観光とグルメ」ではありません。
その土地の風土が醸し出す風景や人情に触れた時の心の有様(ありよう)だと思っています。
歩き遍路の旅は、その最も素朴な姿なのでしょうね。
kyoichさんのお遍路旅の行方、楽しみですね。
遍路をやる理由は、それぞれあるのは当然ですが、今、思うのは、うまく言えませんが、お寺お寺にあるのでなく、それを繋ぐ過程にあるような気がします。ゆっくり考えたいと思います。
えっ?もう帰路につかれたのかと思ったら(笑)
もう一日歩かれるのでしょうか?
明日は一日、雨の予報ですよ。
先日は、朝から夕方まで。
お遍路さんに、ずっと張り付いてその姿を観察できるという、
またとない機会を与えて頂きました。
当事者とは違った第三者の視点で巡礼者の様子を見られたことが、とても新鮮でした。
道中、ずっと話していたように、
旅の魅力は、目的地に到着することよりも、その過程にあると思っています。
特に遍路モドキさんは、その笑顔で色んな人たちとの出会いを重ねてください(笑)
自分の身体で歩んできた風景の記憶と、そこで得られた出会いは、
間違いなくお大師様からの贈り物(功徳)ですよ。
南無大師遍照金剛…
確かにその通りです
お金をかければそれなりに快適な旅が約束される訳ですが、自然体であることが望ましいのでは?
京都=お寺ではないことと同じだと痛感します
自然体であること、ポートレート難しいでしょう?
言葉をかけるとそれだけで時間が止まってしまう
ここでこうしよう、つぎはこうだと先へ先へ持っていかないと間に合わないのです
観光写真にならないよう改めて心がけ月末に備えます
ここに書き込めるくらい元気が回復したことは嬉しいです。
確かにポートレートは難しいです。
高曇りの空で光量が不足していたのが残念でした。
やっと晴れ間が覗いたのは西日が低く傾いてから。
頭で描いていた絵とは、ずいぶん異なりましたが、
一日、お遍路さんを自由に撮れるという貴重な機会を与えて頂いた
kyoichさんには感謝です。
本当に楽しい一日でした(笑)
また高知あたりまで辿り着いたら、追っかけ遍路をしようかなどと目論んでいます。
misaさんも一緒に如何?
http://whats.be/80625
その節は、楽しい時間を1日過ごさせていただき遍路モドキにとりまして、最高の「お・も・て・な・し」、「御接待」を頂きました。ありがとうございました。
昨夜、帰ってきましたが風呂入って酒飲んだら眠たくなって連絡が後回しになってしまいました。
翌7日には、素晴らしい出逢いの一つがありました。星ヶ浦海浜公園に泊まる予定で、19:20に亀岡を歩いていると国道の歩道を犬の散歩させている人と出会い、挨拶をすると「どこまで行くの?亀岡駅もよく泊まっているよ」とのお話を頂きました。駅までの道を教えていただき行ったのですが、後ほど様子を見に来ていただきホッカホカのおにぎり弁当を造ってきてくださっていました。(>_<)ヽ ナケルゼェ
しばらく仕事のこととか菊間の話とかして楽しい時間でしたが、娘さんがあの七折小梅でマスコミ等に取り上げられていた愛大生の彼女とも分かりました。
歩き遍路の醍醐味を味わうことができました。こんな事もあるから歩き遍路も止められません。\(^_^)/
今週は予定が3日も入っているので行けませんが、17日から11号線の大頭バス停から60番横峰寺を目指す予定です。