さぁ、ついに長かったお遍路の旅も最後の讃岐路へと入ります。
最初の難所、雲辺寺を打ち終えると、後は雪崩くずれるように
残りの札所を打ってゆきます。
白峯寺から根香寺の、まるでお大師様に試されているかのような試練。
そして結願の寺を前にして、思いがけない奇蹟が待っていました。
結願の寺から、さらに山を越え一番札所霊山寺へ。
四国遍路を円(縁)で結ぶ歩き続けた軌跡が、ここに繋がります。
ともに歩いた沢山の人々(ネット上で繋がった)への感謝を込めて、
南無大師遍照金剛。
このスライド・ショーの音楽として是非聴いてもらいたい曲がある。
出来ればオリジナルアルバム「Boomer,s Story」より聴いてほしい。
ライ・クーダーのアコースティックギターの切ない音色が4分30秒流れ続ける(涙)
お遍路 on the Road / 涅槃の讃岐路
このスライドショーには音楽を入れられないので、
エンドレスでRY Cooderのアルバム「Boomer,s Story」より、「Maria Elena 」と「Dark End of the Street」
を流しています。
私にとって、このお遍路の旅は、国境の南を思わせるこの2曲に尽きます。
乾いていて尚且つエキゾチックでセンチメンタルな
アコースティック・ギターの音色。
宜しかったら聴いてみてください。
画像を最適に楽しむには、スライドショーよりも一枚づつの方が良さそうです。
(サイズも大きい)
異人たちとの夏はいき。
次の夏黄泉帰るまで さようなら
でも天井裏に二人でいますよね。
ねずみに気をつけて。
やっぱりお遍路ロードムーヴィには、ライ・クーダーのギターが
ピタリと、はまります。
たぶんヴェンダースの映像が頭のなかにある所為でしょうね。
光と影のコントラストの強い写真は、モノクロームに
置き換えた方がインパクトがありました。
わが敬愛するロバート・フランク、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュたちの
ロードムーヴィの名作にリスペクトをこめて。
まとめが終われば、高野山?で満願の御礼となるのでしょうか?
友人なんぞは、終われば又お遍路に出たくなる、と言っていましたが、小生なんぞは、又行っていませんが、ワンダラーとしてはその気持ちがよく分かります。
ところで、来宇は何時頃になりますか?腰足の調子が良ければ、合わせたいと思います。昼でもご一緒しませんか?夜なら酒付きになりますね。?
延ばしのばしで、台風の連休に退屈を持て余し、
やっと最後の讃岐路をアップしました。
う~ん、高野山は、どうも私の中では、あまり意味を見出せない?
四国遍路を円で結び歩き通したことで、もう自分の中では完結しているからです。
それでも時間を置いて、きっと行くとは思います。
2度目のお遍路は、現時点では考えられません。
私にとって、切望したお遍路の風景に出会ってしまったから。
但し、ライフワークとしてお遍路さんの風景写真は撮って行こうと思います。
秋分の日は、午前中に父母の墓参を済ませ、お昼ころに宇和島へ。
岩松を出る前に電話を入れますね。
どうか腰の状態が悪ければ無理しないでくださいね。
1947年3月、ジェイムス・ベネット・ムーア号でニューヨークに着いたスイス生まれの写真家ロバート・フランクは、埠頭に向かって近づいていく船の甲板から、この摩天楼の大都市を眺めて胸をおどらせていた。「“新世界だ”とつぶやき、わたしは幸運だと思った」とフランク自身が書いている。
ロバート・フランクに1956年にかけてひとつの重大な転機が訪れる。
写真集「アメリカ人」の着想である。ニューヨーク、デトロイト、シカゴ、ロサンゼルスといった大都市を結びながら、アメリカ各地を旅して撮った写真を編集し一冊の写真集にまとめるが、その内容のあまりに強い風刺性から、アメリカでの出版をことごとく断わられてしまう。
ロバート・フランクの写真は、いわば抒情的な資質の中に、何か強烈な批判精神のようなものが楔として打ちこまれている。
われわれを冷たく突き放すような一面を持っているように思う。しかし、その底に流れているのはヒューマンな愛情であり人間に対する悲哀いであろう。(71年芸術生活より引用)
仕事柄プロのカメラマンや関係者とお付き合いがありますが、今までロバート・フランクを知っている人に合った事がなかった。自分以外からロバート・フランクの名前を聞いたのは、ランスケさんが初めて・・・驚きました。
人は、生きて行くうちに色々なことを喪失していきます。ロバート・フランクの「アメリカ人」は、物乞いをするチェロ弾き、車の中で眠っている母子、娼婦、毛布にくるまれた死体を見る人達、アメリカ国旗の前で演奏する顔の変わりに楽器が顔になっている楽団・・・。
行きそびれて立ち往生し居場所を無くした人達頬擦りし抱きしたくなる写真ばかりです。
村上春樹は、ノルウェーの森で人の死とセックスのシーンを必要以上に多く取り上げました。
河合隼雄との対談で喪失感を表現したと言っていました。写真集「アメリカ人」も同じです。
人の一生はオセロゲームのように+(充足)-(喪失)が交互にやって来ます。いい加減に取り組んでいると打つ手が無くなりゲームオーバーになります。
最後まで諦めずに前向きに取り組むことでマス目を全て埋めて。
人生を全うしたいとおもいませんか。
昨夜の電話で、ロバート・フランクのことは話したので
まぁ、いいかと云う想いもありましたが、私的なロバート・フランク観を少し補足しておきます。
お遍路on the Roadの序章、on the Road again でも触れたように、
ジャック・ケルアックの「オンザロード」が私の路上を彷徨う旅の原点です。
ロバート・フランクが写真史上の金字塔「THE AMERICANS」を撮った1950年代のアメリカは、
ビートニク文学があり、E・ホッパーの絵画があり、クールなJAZZがありました。
まだ10代の私は、これら熱病のような旅の軌跡に憧れました。
私が初めて路上に立ったのは16歳の松山から東京までのヒッチハイクでした。
(たぶん、ほっほさんも知らないと思います)
ちなみに、これは歴然とした家出です。
単に夏休みの冒険ともいえる?
それからも私の旅の形態は、20代半ばまでヒッチハイクが主流でした。
あの頃の旅の風景の蓄積が、その後出会ったロバート・フランクの「THE AMERICANS」の衝撃に繋がります。
その間にE・ポツパーの「夜の散歩者」があり、ヴェンダースの「パリ・テキサス」があり、
ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」がありました。
まだ沢山のロードムーヴィ(映像ばかりではない)の記憶の蓄積がありますが省略します。
若い頃の旅は熱病的なところがあましたが、今回の一年で父母を亡くした後のお遍路の旅は、
より内向的にスピリチュアルな旅へと変わりました。
それが10代に熱狂したケルアックの「オン・ザ・ロード」から
「ダルマ・ゼン」への移行だと思います。
う~ん、私的な記号的記述ばかり羅列して皆さんにはチンプンカンプンですね。
まぁ、10代から20代の無軌道な路上の旅が、
父母を相次いで亡くした老境の路上の旅へと繋がったと考えてください。
それだけを説明するのに回りくどい記述でした(反省)
想いが、行間からはみ出してます。
さあ、今日はライ・クーダのショータイムを聴きながら岩松経由・伊達博物館に「オン・ザ・ロード」です。
つづきは、車中で!
行きの車中で聴いた「the dark end of the street」の
ゴスペルバージョン、涙が出てきました。
菩提寺での墓廻りの清掃もご苦労様。
母も、あなたの墓参をきっと喜んでいたことと思います。
kyoichさんや鬼城さんとのオフ会も、まるで旧知の人のような親密さでしたね。
さぁ、私たちも暗く内向したような話題は控えて、
少し前向きに一歩を踏み出しましょう(笑)
進まなければ歴史はできない。
たとえ、それが自分にとってマイナスになることがあっても・・・
プラス思考で行きたいのですが、人間、煩悩が・・・(笑い)
良い旅になったこと、私も良いオフになったことに改めて感謝します。