お大師様に導かれるままに、亡き父母の使った2本の金剛杖と共に歩いた50日間のお遍路旅でした。
発心の阿波路は無我夢中。
観るもの全てが新鮮で、自分自身の足でひたすら歩き続け、
幾つもの街を通り抜け、山を越え、峠を越え、里山を歩き、田圃の只中を歩き、川を辿り、そして海へと辿り着いた感動。
自分自身の足で地図上のパノラマのように広がる世界を歩き通した素朴な感動。
毎日が楽しくて、照りつける日差しも、吹き渡る風も、降りしきる雨も、すべてを受け入れてお遍路の旅の空でした。
そして沢山の人との出会いと別れがあり不思議な縁が繋がり、
お接待という温かいおもてなしの心が四国の地には息づいていました。
南無大師遍照金剛。
すべてはお大師様の導かれるままに…
お遍路 on the Road /発心の阿波路
優しい感性を感じます。
足を開いて踏ん張った貴兄に可笑しさを感じます。(失礼)
座った貴兄には、どこか寂しさを感じます。
建物よりも風景を見るとホッとします。
このお遍路の風景は、もう懐かしい想い出になってしまいました。
旅の最中は、数時間前の身体感覚としての生々しさを持っていた風景だったのに…
お遍路の風景は、石鎚のような自然風景とは明らかに違います。
それは祈りの風景であり、人の風景だと思っています。
セルフポートレートの多用は、この旅が私自身の祈りの風景だからです。
う~ん寂しげですか…確かに笑ってませんよね。
さて次は、修行の土佐路です。
どんな風景だったでしょうね?