ついに最後の日を迎えた。
前夜は、久しぶりによく眠れた。
明け方にブログ記事を仕上げ、荷造りを済ませる。
窓を開けると、すっきり晴れ渡っている。
今日も暑い一日となりそうだ。
県道12号線を、ひたすら東へ向けて歩き続けると霊山寺へ至る。
そう見当をつけて歩き始めた。
今日は、あえて遍路道を外した。
誰にも邪魔されず、この50日間の旅の軌跡を振り返りたかった。
それは成功したと思う。行き交う車の喧騒が、外界を遮断するのに効果的。
膨らんでは、ふっと消えてゆく虹色のシャボン玉のように、
色んな旅の情景が、次々現われては消えてゆく。
そして快調にペースを刻んでいたのも、比較的涼しかった午前中まで。
正午前から、照りつける日差しに車の放つ放射熱が重なり、耐え難くなって来る。
ちょうど県道を横断する遍路道の道しるべを見つけ、一筋内側へ入ると、
樹々の落とす影があり、あの喧騒が嘘のように通りは、
ひっそり時が止まったかのような佇まい。
木蔭のベンチに腰を下ろし、しばし微睡んだ。
ひんやり汗がひき、葉擦れの音とホトトギスの声…
すーっと身も心も蕩けるような涼風が吹き抜けてゆく。
「もう、ここを動きたくない」心底そう思った(笑)
郵便屋さんも「暑い、暑い」とバイクを停めて木蔭の東屋へ入り汗を拭く。
近所のおばあさんと世間話を交わす声が、遠い潮騒の音のように聞こえてくる。
暑い日盛りの午後、オアシスの午睡(シエスタ)のように世界全体が微睡む。
木蔭の午睡で少し元気が回復したようだ。
残りの行程を歩き通して午後4時前に、1番札所霊山寺へ辿り着いた。
山門で一礼して、水屋で手を洗い、本堂へ向かう。
蝋燭に火を灯し、お線香を3本、火にかざし着火。
納め札とお賽銭をあげて、お経を唱える。
本堂が終わると、同じ行程を大師堂でも繰り返す。
最後の般若心経は、思いの外、声が通った。
すっきりした心持ちで納経を終えた。
納経所では「結願して御礼参りですね。おめでとうございます。」と労われた。
これで私の50日間の巡礼の旅が終了した。
帰りの高速バスの車窓から沈みゆく夕日を眺めながら、ずっと考えていた。
そして帰宅して仏前に、共に歩いた杖と納経帳を供えた。
父母の遺影を見上げ、その写真を見つめた時、確信に変わった。
「あれは間違いなく父と母だった」
あの場所、あの時間帯、そして私を待っていたかのような二人の素振り。
そして何よりも、あんな慈愛に満ちた安らかな笑顔を、見も知らぬ他人に向けるだろうか?
姿かたちは、まったく別人だったが、あれは父母以外の何物でもありえない。
それでは父母と一緒に供養したハマノおばあさんは何処に?
お遍路道中でたくさんのおばあさんからお接待を受けた。
あの中のひとり?いや全部という解釈もあり得る…でも、しっくり来ない。
旅の間に、最も大切なものをもらったのは何か?
「あぁ~」思いが至った。
あの室戸岬へ向かう道中で菅笠の顎紐を作ってくれた笑顔の綺麗なお姉さんだ。
年恰好に惑わされていた。
あの人こそハマノおばあさんだ。
あの菅笠は、一度置き忘れたのに3kmの道のりを取り戻しに帰ったじゃないか。
そんな大切なものを与えてくれるのは、父母を置いて残るのはハマノおばあさんだけ。
そんな想いを巡らしていると、とても暖かい心持ちになれる。
お遍路を何度も繰り返し廻る人がたくさんいる。
「もう一度廻りたいか?」と今日、今治のKさんからも聞かれた。
私は「いえ、もうその必要はありません」と即答する。
だって、結願の寺を前にして、私は切望した風景と出会えたのだから。
もし、もう一度廻ることがあるとすれば、
それは、かけがえのない大切な人を失くした時だろう。
応援してくれたたくさんの皆さんへ心から感謝します。
毎日日課のように暖かいメッセージを寄せてくれたmisaさん、kyoichさん、鬼城さん。
高知や宇和島、卯之町でのお接待も嬉しかった。
この旅を通して、皆さんとの絆は、よりいっそう深まったと確信しています。
流れ星さん、レーサーさん牧野植物園での時間、とても楽しかった。
ミヤジさん、思いがけない読者からの声に元気をもらいました。
ヒロツさん、暑い日盛りにスポーツドリンクのお接待ありがとう。
ネット繋がりのおいわさん、お千代さん、こもれびさん
暖かいメッセージありがとうございます。
父の実家では、叔父さんと叔母さんに、大変お世話になりました。
ユウイチロウくんありがとう。モモちゃんの無事進学祈っています。
臨江寺の和尚様、母の初盆供養宜しくお願いします。
今治のKさん、二日間に亘り今治で気持ちのよい時間を過ごせました。
心のこもったお接待に感謝です。
三浦さん、応援メッセージありがとうございます。また石鎚で会いましょう。
ホッホくん、この旅を前にしてあなたと30数年ぶりの再会をしたのも不思議な縁。
あなたを可愛がっていた母の引き合わせかもしれませんね。
旅の想い出を肴に美味い酒を飲みましょうね(笑)
マロンさん、突然の御主人の訃報に驚いています。
あなたも大切な旅のパートナーでした。
カタックリさん、連絡が途絶えて寂しく思っていました。
あなたから受けた父と母の最後に寄り添ってくれた善意は決して忘れません。
アマガミさん、二日間ともに歩いて楽しかったです。
なんだか、その後のあなたとの縁(えにし)の方が深いように思えてきます(笑)
サッポロさん(いえ先生)皆さんとは薬王寺くらいまで何とか追いついていましたが、
長い室戸岬までの行程で完全に置いて行かれてしまいましたね。
それでも同じ旅の空の下、歩いているのだと思うと心強かったです。
最後まで私の旅を見届けて頂いて感謝です。
また何処かの山で偶然出会うかもしれませんよ(笑)
和さん、サッポロさんたちと同じ民宿鮒の里からの縁でしたね。
7月からの真夏のお遍路は過酷です。
どうか無事に土佐路を歩かれることを祈っています。
岡山のKさん、10日間の道連れ道中、色んなことがありましたね(笑)
どんどん旅慣れてゆくkさんの姿に驚いていました。
道半ばでの帰還は悔しかったと思います。
涼しくなった秋には、ぜひ結願してください。
天満橋のTくん、心くん、あなたたちとも不思議な縁でした。
二人とも、普通ならリタイアしているような辛い思いをしながら、見事歩き通しましたね。
あなたちの姿は、私にとっても忘れられない旅の記憶となりました。元気でね。
そして最後にクニシンくん。
あなたが、このお遍路旅で最も印象に残る旅の道連れでした。
藤原信也の「メメントモリ」に触発された写真学校時代のインド旅行の話。
その後のアジア放浪や沢木耕太郎の「深夜特急」の香港…色んな話をしましたね。
白峯から根香寺で、あなたに出会わなかったら、私はこの旅を台無していた。
一番辛かった足のマメを潰した時もあなたは一緒だった…
ひょっとしたら、あなたはお大師様の化身じゃないかと思えてきます(笑)
共に歩いた菩提の伊予路から涅槃の讃岐路でした。
最後に祝杯を上げられなかったのが本当に残念。
旅は終わったけれど、たまにはこのブログに言葉を寄せてください。
その他、たくさんのお接待をして頂いた名も知らぬ善意の人たちに感謝です。
すべてはお大師様のお導き…南無大師遍照金剛。
心よりありがとうございました。
6/28の歩行距離、25.5km。
この数日の文面からひしひしと伝わる感動、心に響いてきましたよ。
私も2年間掛けて、次回4度目の挑戦で結願出来そうですが、私の取ってのその日に何が見えるか、何を感じるか、今からとても楽しみになりました。
落ち着いたら連絡します。
ムライ
私自身が一番驚いている旅の結末でした。
昨年相次いで亡くした父母に、もう一度会いたいという願望は、心の底ではありました。
でも、それが叶うとは、普通考えませんよね。
唯、最後の日々を尽くしてやれなかったという後悔の念を
少しでも軽くすることが出来ればという供養の旅でした。
そのために札所での納経には手を抜かず作法通りに心を込めたつもりです。
30分~1時間くらいの時間をかけています。
旅の途上で、何度も父母と過ごした最後の日々を思い出し、
悔しさに涙したこともありました。
そんな想いが通じたのだとしたら、これはお遍路という巡礼の旅の
至福の到達点だったと心から感謝しています。
さてムライさんのお遍路の先に観えてくるモノは、
どんな風景でしょうね?
お遍路の風景は、それぞれの心の底で観たいと切実に
願望するものだと私は信じています。
どうか良い旅の結願を祈っています。
ありがとうございました。
ランスケさんもそのひとりです。
2本の杖を最後までしっかり持って、気持ちが伝わってきました。
それが突然途切れると、こんなに脱力するものなのですね(笑)
昨日は眠ってばかり。
今日は、少しは回復しましたが相変わらず、身体の芯が抜けたような感じです。
結願の宿で、6年間かけてやっとお遍路の旅を終えた若い女性と会いました。
区切り遍路を続けることは、ある意味通し遍路よりも、
モチベーションを維持し続けることが大変だと思いました。
どうかアマガミさんも、これから観えてくるお遍路の風景を拠り所に、
結願へ向けて一歩一歩進んでください。
アマガミさんが松山まで辿り着くのは何時頃になるでしょうね?
楽しみに、その日をお待ちしています(笑)
一度もコメントできませんでしたが いつも仕事から帰った週には貴方のお遍路の軌跡を心から見守っていました。初めのころ 30キロというザックの重さとの闘いがありましたね~。
大丈夫かしら~~私が見たお遍路さんはみんな軽そうなザックを背負っていました。
で~途中 荷を軽くされて安心しました。
ランスケさんの写真を見て だんだん痩せていく姿にも大丈夫かしらと心配したり・・・。
風邪で体調を悪くされたりと・・・心配しました。
長い50日を体力・気力とご両親を想う一心で結願にたどり着きました。この50日間のたくさんの善意ある人々との出会いも大収穫でしたね。最後には 不思議と思われるようなことがおきました。
お年寄りのご夫婦との出会い・・これは ランスケさんも大喜びでしたね。姿を変えて会いにきてくれたのでしょう。
私も その不思議な出会いを信じますよ。
何よりも嬉しい出来事で良かったですね~~。
この梅雨時の天候の悪い中、そして結願の1週間位前からの高温多湿の梅雨明けを思わせるような蒸し暑い中でのお遍路歩き 心からお疲れ様でしたと申し上げます。
今回 ランスケさんの50日間の素晴らしい文章と写真を楽しませていただきました。
ゆっくり静養されて また 大好きなお山にお出かけくださいね。自然の中でカメラを構えているランスケさんを想像しています。
私は明日・明後日と梅ケ市からテント泊で石鎚まで行ってきます。私リーダーで おばちゃんばかり6人で歩いてきます。この暑さの中 どうなりますかね~。
ランスケさん もう一度 SさんとEさんの供養の旅 お疲れ様でした。
日本は最初の被爆国でありながら、放射能汚染に対して
無防備で冷淡です。
そしてフクシマの当事国なのに、未だ原発に代わるエネルギー政策の転換に消極的です。
なんら検証されないまま九州、玄海原発の再稼働を決定しようとしています。
「事故が起きたら政府が全責任を負う」という海江田大臣の発言には
何んら実効性はありません。
汚染されたフクシマの現状を見れば、それは明らか。
今夏は、みんなが節電に協力し、もう今までのような暮らしは出来ないと自覚しています。
あの震災を機に、日本人のライフスタイルに対する意識は
完全に変わろうとしています。
どうかタケモトくん、お遍路の旅の人と人との繋がりや無償の善意、
そして広島の悲劇から、もっと世界に目線を広げてください。
メッセージを込めた音楽も好いですよ。
お遍路の記録を、ずっと観てくれていると判って、とても嬉しいです。
本当は県内の遍路道を一緒に歩きたかった。
残念です。
仏壇の父母にも、カタックリさんのことを報告しましたよ。
最後の日々に寄り添ってくれたカタックリさんのことは、
父や母も、決して忘れないと思います。
ありがとうございました。
年始の石鎚登山でお遍路の心願成就のお守りをもらい、
ずっとお遍路の道中、首から下げていました。
そのお礼参りに今日のお山開きに入山予定でしたが、
朝から土砂降りなので延期しました。
私も土日は石鎚入山です。
何処かでお会いしそうですね。
楽しみにしています。
石鎚にも当分、ご無沙汰です。ランスケさんのことだから奇跡の四国遍路を打ち終わり、お山開きに行っているかもとテレビを見ていましたが・・・正解でしょう。長旅の疲れを癒やしてじっくりと報告に行ってください。
入山は今日明日ですね。新しい気持ちで報告してきてください。