桜の風景は不思議だ。
満開の数日間だけ、そこに桃源郷を出現させる。
ありふれた日常の風景の中に、忽然と現れる華やかな空間。
それは長い無彩色の冬が明け、待ちわびた春の祝祭なのだろう。
日本国中、平等にその祝祭の空間は出現する。
桜の開花は、稲作の文化と共に育まれてきた季節の歳時記だった。
それが次第に、この国で暮らす人々の情緒に最も寄り添う花となってきた。
野生種である山桜から交配で多様な品種を生み出し、
日本全国、あらゆる場所に植栽され、日常の風景の中に融け込んで行った。
春の数日間だけ出現する祝祭としての「ハレ」の日のために。
長い間、風景写真を撮って来て、ここ数年、
桜の風景は、人の風景なのだという想いが強くなってきた。
花鳥風月としての桜は、もちろん美しい。
でも桜は、人が想いを託す花なのだろう。
悲劇的な戦争の後も未曾有の震災の後も、人は春を待って花開く故郷の桜に想いを寄せた。
名だたる桜である必要はない。
私たちには、それぞれに瞼を閉じると憶い出す桜の風景がある。
今年の桜は、戻り寒波と雨に祟られた。
桜雨も風情があるけどね。
満開を待って、回復傾向の天候に最後の願いを託した。
残念、朝から雲の垂れ込める花曇り。
旧街道筋の峠道に咲く桜並木を朝靄の風景で狙いたかった。
里山の奥に延びた山道を息せき切ってペダルを漕いだ。
朝一で峠道を下ってきたお遍路さん。
「おはようございます。峠の桜は満開でしたか?」
自転車を止め問うと、
満面の笑みでお遍路さんは「満開です。それは綺麗でしたよ」と応える。
普段なら心細い女性ひとりの山道でも、
満開の桜花に染まる華やぐ心映えが、見知らぬ人同士にも通い合ったのだろう。
「ありがとうございます。浄瑠璃寺は、もうすぐですよ」
「お気をつけて」
巡礼の人と挨拶を交わし、さらに山道を登った。
峠の桜は、満開の花姿を山桜の薄茶や萌黄の色と咲き競っていた。
一日、市内を巡り、陽の傾いた時刻になって、やっと陽射しが戻ってきた。
最後は桜回廊をそぞろ歩く花見の人々を。
桜並木で所在無げにカメラを構える人は、
結婚式前撮りの花嫁さんの到着を待つ写真屋さんでした。
どんどん光が良くなっているのに、肝心の花嫁さんがいつまで経っても来ない。
やきもきするカメラマンさんでした(笑)
ある商店の方の還暦祝いにと苗木を50本ばかり市に寄贈していただいた。
その木を植えるため、愛宕公園に登った。
小学校6年生の時のこと。苗木を植えるため穴を掘り、植えた。
宇和津彦神社より水をくんできてかけた思い出・・・
もう老木化して幹もぼろぼろである。
染井吉野の宿命でしょう。
素晴らしい人を入れ桜風景を撮っている。
最近、ランスケさんの写真に変化が見られると感じるのは私だけだろうか?
場所は旧遍路道と石手川の土手かな?
私も宇和津彦神社から愛宕山を登りました。
あの桜並木は鬼城さん自らが植えた樹だったなんて。
桜は人の手によって植栽され、その地域の人々に愛されてゆくので、
それぞれの桜に纏わる物語や伝説が生まれます。
桜守りという言葉もありますよね。
ソメイヨシノで最も素晴らしいと思ったのは、東北自転車旅で出会った、
弘前城のお堀を囲む見事な古木たちです。
手入れさえ良ければ、ソメイヨシノも100年近く生きるらしいです。
震災前の福島には、何度か通いました。
三春の滝桜を筆頭に、ここは日本を代表する桜の巨樹たちが、
阿武隈山地の里山に、無数に存在します。
滝桜の帰りに山中で迷った末に辿り着いた集落で、
小高い丘の上のお堂の側に咲く見事な一本桜が忘れられません。
東北の桜は、長い冬を越してきた人の想いが籠っているので、殊更、見事です。
今回の記事も、最近読んだ本に綴られた震災後、被災された人たちの
春を待って咲く桜への想いに触発されました。
戦争も震災も、夥しい死者を慰霊する力が、桜にはあるのだと思います。
御指摘通り、三坂峠からの旧遍路道と石手川公園の桜です。
巡礼の人と桜風景を撮影したいですが、思うような風景の中でお遍路さんと出会えません。
まだチャンスがあるので狙ってみます(笑)