「不登校の子どもたちへの理解と対応について考える」
本日、19:00〜 小柳晴生先生講演会。
四国中央市福祉会館4階多目的ホールにて。
当日、飛び込み参加も大歓迎!(だと思います!)
対象は、保護者のみなさま、子どもたちに関わる先生や支援者の方、関心ある方。どなたでも!
小柳晴生先生著書「大人が立ち止まらなければ」より
成熟社会の「豊かさ」のなかで、強迫性を強める生き方や、ノスタルジックな解決策に固執する大人たち。
時代に適応できない不安と焦燥を子どもたちに投影し、非難することで、自分自身をごまかしていないか?
現代社会は、すさまじい速さで変化し、身の回りに物や情報が氾濫しています。
現代社会では、この「豊かさ」、つまり速い変化や物と情報の増大についていくことが進歩進展であり、適応と考えられています。しかし、変化の速さは増すばかりで、本当のところいったい何が起こっているのか、私たちはこれからどこへ向かおうとしているのか、誰にとっても容易に理解できない状況になっています。
激しい変化についていくために、多くの人は心をもっと強くし、能力を高め、時間を有効に使い、懸案をもっと速く処理することで解決しようとしているように見えます。
こうした中で、冒頭の標語のように(「小さな手 大きくみせて わたろうよ」)はったりでも背伸びをしてでも実際より大きく見せたほうが、うまく世渡りができるかのような風潮さえ醸成されているように感じられるのです。 その姿は、イソップ童話の蛙の話を思い起こさせます。牛を見た子蛙がお母さん蛙に「なんて大きいんだろう」と、その驚きを話しました。すると、頑固で負けん気の強いお母さん蛙は、「お母さんだってなろうと思えばなれる」と、どんどん息を吸い込みお腹を膨らませていくのですが、ついにお腹が破裂してしまったのです。
心を大きく強くし、速い変化についていこうとする解決策が、お母さん蛙のように破綻で終わらない保証はないのです。
私が本書で伝えたいことは、不登校やひきこもり、フリーターなど不適応と考えられている現象の中に、これから私たちがどう行きたらいいかという未来の適応のヒントが隠されているのではないかということです。
逆に、今、世間で適応的と思われている価値観や行動様式の中に、将来の不適応が密かに育っているかもしれないのです。
私は20年あまり大学で学生相談のカウンセラーとして携わってきました。相談に訪れた学生たちは、「いったい自分の中で何が起こっているのか」、「自分はどこへ行こうとしているのか」という混迷や不安を訴えていました。(中略) もはや、激しい変化は誰にとっても苦痛をもたらし、追いつくことができなくなっているように思えてなりません。私たちは一人一人がこれにどのように対処し、どんなスピードで生きるのかを自ら選択し、編み出していかなければならないのです。
(「大人が立ち止まらなければ」より抜粋しました。)