連休を利用して、父の実家のある鳥取まで父との2人旅。
父は、元々足腰が丈夫で、あちこちの神社仏閣によく足を運んでいた。電車やバスを利用して、全国各地を歩いていたので、地図に頼りながらも一人でよく出かけていた。そんな父も80歳を過ぎるころから、足にも少々自信がなくなってきたらしく、私に一緒に行ってほしいと頼むようになった。
今回も、7月に91歳で亡くなった父の実兄のお墓参りと本家の墓参りに行きたい。先祖由来のある寺や神社に行きたいという希望で、気候的にもちょうどいいし、実現したのだ。
岡山からは、岡山道→中国道→米子道を走り、湯原インターからは国道ではあるが田舎道をひたすら走る。高速はそれなりに連休の影響で車は多かったが、さすがに一般道はすいていて快適だった。
私が鳥取の父の実家に行った記憶はほとんどないに等しく、写真では4~5歳の頃に父に連れられて行っているようだったが、なんにも覚えていない。
父の実家では、父の実兄の次男が後を取っていて、私たちを迎えてくれた。私は、はじめましてのような挨拶(笑)。父にしてみれば、積もる話もありながらもまずは先祖の墓参りへ。
さすがに本家の墓というのはすごい。先祖代々からの名前や戒名が刻まれていて年号を見てもびっくりする。それだけ歴史がある。それでも、次の世代への継承が難しい。墓の守りをするのは今の時代、容易ではないのだ。
父は、実兄の次男とゆっくりと話ができるとは思っていなかったのだが、(今までにいろいろな確執があったりして)、しかし意外にも実兄が亡くなって、今まで抱えていたわだかまりや不満などもあったけれど、今になってみれば家を継ぐという家長としての役目や責任がドッと押し寄せてきて、意識が自然と変わっていった、と話してくれた。
父も実兄の次男とこんな話をしたことはなかったし、次男は自分は長男でもないのに、長男が自立できていないばかりに(結婚もしていないし定職にもついていない)、自分に降りかかってきた立場と長い間葛藤をしてきたと。両親は長男を甘やかせすぎた、とも。
人ごとながらも、なんだか身につまされるような話で、兄弟とはいえ、両親はそれぞれの子供に対する接し方を分け隔てたつもりはないにしても、子どもからすればなぜ自分には厳しく当然のように接し、兄とは違うのか、という言い分があったに違いない。そういう思いをずっと持って生きてきたと。次男からすれば、自分は兄のせいで多くの犠牲を強いられてきたという思いなんだろうな。自分は一生懸命仕事をしてきて真面目に生きてきた自負があり、なぜ兄はそれができないのか、なぜしようとしないのか・・・そういうことが理解できないまま何年も月日が経ち・・・でも、父が亡くなって、父ともう言い争うこともなくなったと思うと、もっといろんなことを話しておけばよかったとか、亡くなる2~3年前からは少し距離を置いて優しく接することができるようになったとか、そんなことも言ってましたね。
親の子どもに対する接し方はどうなんだろうとか、子どもそれぞれの気持ちとか、いろんなことを感じながら帰ってきました。
ただ、今回父と2人で過ごす時間を取れたのはよかったなと思います。できるならば、母とももう2~3年会ってないので、ゆっくり会える時間をつくっていきたいとも思いながら・・・。
留守の間、主人が我が家の次男と2人で過ごし、夕飯も唯一得意なお好み焼きを作ってくれて、昼食もパスタを作ってくれたとか。びっくりです。
こんな時間も必要なのかな。主人と次男に感謝しながら・・・。