皆様こんにちは
山三三ツ屋染舗の三ツ屋邦孝です。
初代喜代松には戦前に若くして(20代)の妻を二人と養子にした子供を14歳て盲腸が元での腹膜炎で亡くしました。
三番目妻(私の祖母)との間にも子供がなく、後継者のいない祖父は昭和27年に妻の姪の恵美子を養女に迎えました。
恵美子は私の母ですが、金沢の農家の娘で女学校を卒業後に18歳で石川県から来道しました。
兄に勧められてきましたが、本心ではすぐに帰るつもりで札幌に来たそうです。
当時結核を患っていた祖父と病弱だった祖母を残して帰れなくなったと当時を回想していました。
当時は結核の特効薬がなく入院を望んだ母に祖父は死にに行くだけだと、入院を拒み
残された時間を店と母の為に辛い身体を押して仕事の指導をしてくれたそうです。
印染の仕事の修行をしていない母に店を継いでもらうには、印染の仕事は無理だと判断し
印染の白生地の糊落としを行う技術の応用しての着物の洗い張りと萬染物(よろずそめもの)に特化しました。
当時はまだ衣料品は物が不足していて配給の切符制なので軍服の生地を染めたり着物も染替えも多かったようです。
洗い張りとは、着物を解き、はぬいするとまた一反の生地に戻ります。
その生地を水洗いして伸子(しんし)といゆう竹ひごに先に針がついた道具で生地を横に伸ばし(張り)糊を付け仕上げます。
この仕上げの工程を伸子張りと言いとても手間が掛かりますし技術を要します。
着物の洗い張りは当時店に出入りしていた職人さんに週に一度洗い物をしてもらい、その後六日をかけて伸子張りの仕上げと
解きものとはぬいをしていました。
ある業者が当店に洗い張りを頼みきていて、仕上がりった品物の生地の地の目が曲がると「こんな仕上がりで収められるかー」と
お客さんに怒鳴られ仕事場に仕上がったものを土間に投げつけられ、当時の母は言い返す事の出来なく
泣きながら洗い直し伸子を張り直した事を教えてくれました。
このお客さん家で仕上げ物を少し離れた置屋さんに納品して数倍の料金を頂いていたそうです
それだから、地の目の曲がった物を収められなっかたようです。
母はこのお客さんのおかげで自分の腕が上がったと教えてくれました。
母がバイタリティがあったのは、負けず嫌いの性格だった事が幸いしたのかもしれません。
着物のお手入れは
厚生働大臣認定一級染色補正技能士のいる
山三 三ツ屋染舗にご用命下さい。
〒062-0902
札幌市豊平区豊平2条2丁目2番20号
電話011-811-6926 FAX011-811-7126
メール mitsuyasenpo@train.ocn.ne.jp
ホームページ http://328senpo.sakura.ne.jp
営業時間 平日(月曜~土曜) 午前8時~午後6時
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