思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

アハマッド君のこと

2005年06月03日 | Weblog
エジプト旅行のガイド、アハマッド君の話。
愛称「ハマちゃん」らしい。「釣りバカ日誌」の主人公の名を意識していた。
28歳とか言ってたが日本語の堪能さに驚いた。日本の方言も結構詳しいし、日本の歴史も通じている。今の日本の国会の話題まで飛び出した。相当の勉強家と見た。

エジプトの日本大使館で日本語講座を受けてトップで終了した。そのご褒美に日本へ14日間の研修旅行に行って主要な都市を回ったらしい。
彼の父は鉄道の運転手、3人の妹がおり、彼が家族の大黒柱。兄弟で男が1人の場合は兵役も免除されるという。
敬虔なイスラム教徒、エジプトは90%がイスラム教徒と言うから殆どの人はイスラム教を信奉している。
1日4度?の礼拝が義務付けられているが、勤務の関係で無理な場合は夜にまとめてもいいとか。

彼はスポーツマンタイプの端正な顔立ちをしたいい男だ。
ルクソール出身というから多分ヌビア人の血を引いているのだろう。エジプト人の中でもどちらかといえば黒人系だ。

そういえばクレオパトラのことで、エジプト美人を探したが見つからなかった。というか、地方では殆ど女性は外に出歩かないようだ。職場は殆ど男だ。たまに真っ黒な衣装で顔だけ出した女性を見るくらいだった。カイロではジーンズのお姉さんもいて日本と余り変わらない。
だけどもクレオパトラは元々ギリシャ人なんだそうで納得した。

彼は日本が好きらしい。日本人の礼儀正しさと勤勉さが好感が持てるといってた。
エジプトの道路は殆ど信号がない。あっても誰も守らないらしい。ハイウェイでもロバの引く荷車がトコトコと歩いていたりする。タクシーもメーターは有名無実、故障している振りをして高い料金を取る。だからエジプトの人も含めて乗る前には必ず目的地までの料金をネゴして決めてから乗る習慣になっているらしい。

アメリカ人は余り好きではないといってた。理由はいわなかった。

そして、日本への研修旅行で広島へも行ったらしい。原爆資料館も見たといってた。
10数名の一緒のグループにアメリカの若者も4人いたが、原爆資料館ではずっと泣いていたという。なぜ泣いているのか聞いたところ、「アメリカは過去にこんな酷いことをしていたのか、知らなかった。恥ずかしい」といって泣いていたという。
アメリカの歴史教科書には載っていないのだろう。日本が中国での過去の残虐行為を言われたくないのと同じ理由だ。
そんなことを淡々と話すアハマッド君はきっと国を支える人間になるだろうし、泣いていたアメリカの4人の若者にもアメリカの良心みたいなものを感じることができた。


我が心根の貧しさ

2005年06月03日 | Weblog
今朝は衝撃を受けた。
自分のこれまでの人生が余りにもみすぼらしく思えて、悲しかった。
長年刻み付けてきた生き方とか心根は変えようがないかもしれない。努力しても根本のところを変えられなければただの演技に過ぎない。

正直なところ、私は他人から何かをしてもらっても、素直にありがとうと言う気持ちになる前に、余計なことはしないでくれという気持ちが先にたつ。従って、他人に対しても何かを心からしてあげようという気持ちになることはない。
第3者の傍観者的立場での批判者として指摘したりする。要するに自分のエゴを満足させるための行為である。

我が女房の度重なる指摘は的を得ている。
・あなたは何でも自分が1番にならないと気がすまない。
 1番になれないと分かったらやろうとしないで放り出す。
・要するに自分のことしか考えられない。他人を思いやる度量が足らん。
・そんことでは寂しい人生を送ることになるわよ~。

自分が苦しんだこと悲しかったことを経験し、同じ苦しみを持つ人に何らかの手を差し伸べる心情は自分には欠如していた。
私の発想はこうだった。
自分と同じ苦しみを持つものを見たら、俺も苦しんだ、だからお前も自分で苦しみを乗り越えろ、俺もそうしてきた、と傍観者的に見つめるだけである。
人は孤独である、結局1人で乗り越えるしかない、従って自分の悩みを人に打ち明けるなどは論外と考えてきた。

自分と同じ苦しみを持つ人に、何かしてあげられることはないか、と考えて行動しようと模索する子供がいることに大きな衝撃を受けた。
そういう子供の心を育んできた人の優しさと心の広さに素直に衝撃を受けた。人間愛が感じられる。多分とても度量の大きな人だと思う。本人は感じてなくとも。

私の育った家庭環境とか、受験戦争とか、競争社会とか、愚にもつかない言い訳はみっともない。
資格もないのに人の上に立っていたい悲しい心根、いわれのない優越感とか絶望感、そんなものに振り回されて生きてきた。
孤高を愛す、とは裏返せば、常に人にヒンシュクを買い相手にされなかっただけの話だ。

ひとの人生は演技である、そして幼児のころに植えつけられた心情によって演じられる、といった意味の言葉を読んだことがある。
偽の演技で善意を振りまくことは嫌いである。偽の演技は直ぐ見抜かれるし。
我が貧しき心根は変えられるのだろうか。

今日はとても温かいものに触れることができた。

貧しき懺悔録。