思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

鎮静化

2005年06月21日 | Weblog
女房の機嫌は鎮静化に向かっている。
私が放った暴言は決して忘れないだろうが。

「今日は昼までには帰れないから、昼はカレーを食べてね。カレーはこれ、ご飯は残ってるからね」といって出て行った。

さて、カレーを食うか。

偏頭痛

2005年06月21日 | Weblog
頭痛のメカニズムが解明され始めて、対症療法が飛躍的に進歩しているらしい。
昨晩のテレビだったと思う。
私も、頭痛に悩まされていた時期があった。
高校時代である。原因は受験勉強地獄と睡眠不足だったろうと思う。
人に負けまいとする強迫観念とプレッシャーがもたらしたものだろう。実際にはそうでもなかったのだろうが、四六時中頭痛がしていたような記憶がある。

何であんなに成績とか、試験の後に張り出される順位に拘ったのだろうか。
試験の順位が張り出される日は恐怖だった。
青春を棒に振ったといえなくもない。受験のための知識だけは思い切り詰め込んだ。受験には確かに役立ったが、その後の人生にどのように貢献したかは不明だ。反動で大学では殆ど勉強しなかったし。
しかしそれも自ら選択した若い日の人生の1コマであると否定はしない。

昨日のテレビで老年のご婦人が、偏頭痛から新薬の投与で開放されたが、「人生の4分の1をまったく無駄にしてしまった」、と述懐していた。

こういう言葉を聴くといつも、「ん!」と思う。
彼女は激しい原因不明の頭痛が始まると、ただ横になり臥せっているしかないとか言っていた。いろんな病院も訪れたが、原因は定まらない。人には仮病とか不信感を抱かれる。自己嫌悪に陥る。
原因が分からない。
人に理解してもらえない病気は、本人にとっては耐えられない心の負担だろうと思う。
対人関係はもとより自分自身の自信喪失とか厭世観とかいろいろの悪影響はあるだろうと思う。
「こんな状態は他人には決して理解できないだろう、だが現実にそうなのだ」という叫びも他人には伝わらない辛さがあるだろう。

それにしてもだ。
その間の人生がまったく無駄だったと言い切るのは、どうなのかな~と思う。
私は、それも自分の人生だし、いとおしいとさえ思う。
偏頭痛と言う複雑な原因を持つらしい病気がなかったらどんな人生を送れたのか。
もっと別の不幸を見つけ出すかもしれない。
人生も一つとして同じ人生はない。不幸を嘆けば切りがないし、不幸の原因を取り除いてもまた別の不幸の原因は湧いてくる。

死を待つしかない難病と戦いながらも、自分を嘆かずに人と連帯して死ぬまで生き抜こうとしているひとが、これも別のテレビで以前に放映されていたのを思い出す。
家に独りだったから、かまわずに溢れる涙をこらえなかった。
まだ若い彼女は恐らく自分の人生が無駄だったとかいうことは考えもしていない。
それが自分に与えられた人生だと、きっぱり腹をくくって生きていこうとしていた。
心からエールを送りたい人生を過ごしているあと、当時の我感情とマッチして、泣けて泣けて泣けた。

女房と一緒に見てなくて良かった。女房に涙を見せたことないし。

囲碁

2005年06月21日 | Weblog
囲碁は面白いし好きだ。
日曜日のNHK盃囲碁選手権だったかな、名称は定かでないが殆ど欠かさず見る。解説も理解できない部分も多いが不思議と見る。それも途中から。前半が「新婚さんいらっしゃい」とダブっているから仕様がない。ビデオで見るまでは行かない。

チャンネルを変えて最初の盤面を見るといつも「エーッ!」と思う。想像できない石のならびになっている。どう打ったらこんな形になるんだろうと思う。
白と黒の碁石が織り成す紋様は限りなく美しい。
一つとして同じ紋様になることはないらしい。

最初から戦いを挑み挑発して打つ人、逆に争いを誘って全部絡めとってしまう人、大きく陣地を囲いながら打つ人、大石をとるのに勝負をかける人、いろんなタイプがあるみたい。
負けていても最後まで勝負をあきらめない人、大石が死んで早々に投了する人。もっとも明らかに挽回できない負けは投了するのが礼儀らしいが。
棋士の人生そのものが盤面に現れている感じだ。
一手一手に全て意味がある。ずっと先を読んで今この一手を打つ。

かくいいながら、私は大して囲碁を知らない。段とかには程遠い。最近は人と碁を打つこともない。
パソコンソフトでも囲碁ゲームがあるが、人間の能力には叶わない。私でさえ大概勝つので面白くない。それほどに複雑なゲームなのだろう。
はじめて囲碁に出会ったのは20歳の頃だが、「詰碁」とか「次の一手は」とか、そんな本とはズーッと付き合ってきた。
若い頃弟と対局していつも負けていたのを思い出す。

出張先で毎晩囲碁のお相手をさせられた自称4段の先輩を思い出す。9子置いて。

人生も囲碁に似ているかも知れない。
一つとして同じ勝負がないこと、捨石=失敗は早めに諦めをつけて大きな飛躍に役立てる、打ち終わった時の黒白の石の紋様=負けても同じように美しい人生。墓石に刻むように棋譜が残され記憶される。
プロ棋士は勝負の全ての石の手順を記憶しているみたいだ。
なぜ自分は負けたのかを検討する。

たかがゲームと言えばそれまでだが。