思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

犯罪のてんこ盛り

2005年06月24日 | Weblog
電波のお陰か、全国いや世界中の犯罪が即座に伝わってくる。
女子高校生の覚醒剤ジュースパーティ、高校教諭の麻薬所持、少年の親殺し、ロリコン牧師、21歳女のトイレ出産と乳幼児死体遺棄、毎日毎日次々に犯罪が報道される。
この近辺も警察の広報車が、引ったくりの多発地域なのでと、注意喚起して回っている。

飲酒運転による殺人、郵便受けのピンクチラシだって身近な犯罪じゃないのか。若い人の間に急激にエイズが増加しているらしい。風俗業を介して。
先進国では日本のみがエイズの増加を続けているらしい。外国人は、日本の週刊誌のエッチ度に度肝を抜くらしい。あまりの酷さに。そんな性情報の氾濫する国で育つ若者は狂っても仕様がない。

これだけ報道されると聞くほうも麻痺してくる。多少の犯罪は「世の中そんなこともあるさ」と言う感じになる。当事者でないから。
しかし、わが身に降りかかったときのことを想像すべきだろう。
「そんなこともあるさ」とは言っておれなくなる。
教師を殺害した少年の家庭、姉は決まっていた結婚を破棄され自殺未遂、家族はそこに住めなくなって消えてしまった。親父は某社の役員さんだったとか。

子供もしょっちゅうそんな報道に接していると、犯罪に対して麻痺してくるのではないだろうか。
誰でもそんなことをやっているような感覚が醸成されて倫理観も薄れてくるのでは。

・クスリはハイになれて楽しいみたい、付き合う?
・子供?できちゃったら堕せばいいのよ。
・エイズ?私達関係ないよね。(…潜伏期間10年以上、分からんぞ、末恐ろしい)
・あいつは許せないからみんなでポアしちゃえ。

そんな会話がひょっとしたら子供の間で日常的になってるかもしれない。
犯罪天国で育つ若者は、犯罪に走る確率も増すだろう。

エジプトの旅行ガイドが「日本が好きだ」と言っていた。
理由は、礼儀正しい国民、勤勉を美徳と考えている国民、と言っていた。
そんな時代もあったが、今後は保証出来ない。
礼儀を知らない若者、働くことも勉学も嫌いな若者が、そしてエイズも覚醒剤もアメーバのように今この日本で増殖している。
政治家諸君よ、靖国より郵政民営化よりも、もっと真剣に取り組むべき問題が山積しているぞ。
取り返しのつかない事態が進行していると早く感じて欲しい。
政治家になって総理になろうかな。

いじめ

2005年06月24日 | Weblog
私は転勤で各地を転々とした。
不思議に単身赴任をしていない。女房はどこでもついてきた。
1人にしたら、ろくな事はせん!、と思っていたのだろう。
子供も転勤のたびに転校してきた。

後年あるとき女房は子供の前で、「うちはいじめなんかに会わなくて良かった」と言ったら、娘も息子も「いじめはしょっちゅうあった、親が心配すると思ったから言わなかっただけだよ」と言ってた。

女房は、子供は何でも全部話してくれると思っていたらしく、「ゲッ!」と言う顔をしていた。
良くできた子供達と言うべきなのかな~?。


大声で叫ぶ

2005年06月24日 | Weblog
演劇の練習が続いている。
とにかく大きな声が必要。いつも蚊の泣くような声の私には大変な努力が必要。大体しゃべることそのものが少ないわけだから、大声で会話することなんて通常はしない。

それが
「俺のこぶしは、その女の血で真っ赤になっていた~!」なんて叫ぶわけです。
恐らく生まれて初めての非日常体験です。

今更引けない状況にどっぷり嵌ってしまった。
あと1ヶ月少々、どうなることやら。
ちょっと引いてしまう感じ。

ホームレスの老女

2005年06月24日 | Weblog
今朝ゴミ出しをして、その足で煙草を買いに行った。
直ぐ近くに煙草自販機があるが、散歩をかねて少し離れたところまで歩くことにしている。
途中、公園を通り抜ける。
公園の中にただ1ヶ所備え付けの灰皿のあるベンチがある。
そこで最後になった1本の煙草を喫いたくなったので近寄ったら、白髪のおばあさんがそこで寝ていた。白の夏向きのズボンを履いている。
その横ではどこかの爺さんが新聞を広げて読んでいる。知り合い同士とも思えないが、ばあさんが傍で寝ていることは一向に気にしていない様子だった。

ばあさんは、手提げカパンのようなものを抱きかかえるように日陰で寝入っていた。手足を縮めるようにして。
恐らく夜をそこで過ごしてまだ目覚めていないのだろう。
明らかにホームレスさんだ。カバン一つが全財産、もはや失うものは何一つない。見栄もこだわりとかも当然ないだろう。何か希望はあるのだろうか。あるとしたら死なないでいることが唯一の望みかもしれない。
生きている理由さえ否定したい状況にありながらも、その日の食事は自ら調達するはずだ。
人間生きる気さえあれば全てを失っても何とか生きれるのだろう。なぜ生き続けるのかとかは、もう考えない。食事と睡眠の生きる本能に従っているだけだろう。

その直ぐ横の広場では近所のじいちゃんばあちゃんが早朝のゲートホールに興じていた。
誰一人気に止める人もない。

夏は過ごせるが冬はどうやって過ごしてきたのだろう。
体を洗うことはないのだろうか。1日風呂に入らないと気分が悪い私には耐えられないだろうが、慣れてしまえば体もついて来るのかもしれない。

煙草を買っての帰り道、そのばあさんはもう起きていた。
公園の公衆トイレを市の職員が清掃していたが、その横で顔を洗っていた。
顔だけは習慣で毎朝洗っているのだろう。

だが彼女の今の境遇を、哀れむことが正しいかどうかは分からない。
過去に何があったのかは分からないが、もしかしたら、己を含め全てを棄てて開放された充実感で生きているかも知れないではないか。
凡人にはとてもできない。
その前に狂い死にするだろう。