思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

痛覚

2007年08月18日 | Weblog
痛みの感覚です。
私は痛さに弱い。
少し歯茎が腫れたりすると、「この世も末」というほどの苦痛を感じます。
人間以外の動物は殆ど痛みを感じることはないとどこかで聴いたような記憶があります。

先日、バイクでツーリング中の男性が、高速道路でカーブを曲がりきれずに中央分離帯に接触し左足をぶつけました。
それから約2キロメートル数分間走った後に自分の左足が足首から切断されて無いことに気づいたそうです。
仲間が戻って足首を捜したら見つかったそうですが複雑骨折していて元に戻すことは不可能だったそうです。

何故自分の足を切断したのに彼は気づかなかったのか、識者が解説していました。
あまりの激痛だったためと、高速で走っていて意識がカーブを曲がることに集中していたせいではないのか、と。

こうしてみると痛覚とは何ぞや、とふと考えたくなります、
人間の感覚はなんと騙されやすいことか。
歯が痛いときも痛み止めを飲めば痛みは感じません。

「心頭滅却すれば火もまた涼しからずや」と修行僧は言います。
「無痛分娩」なんていうのもあります。
催眠術で導かれた人は、やけ火箸だと言って氷を肌に当てられただけで火傷が出来るとも言います。

だとすれば、自分の脳をコントロールすることによって痛覚をコントロールできる訳です。
その代わりに、自分の体の異常を見過ごして病気を悪化させてしまうと言う代償を払う必要がありそうですが。

湯のみ茶碗

2007年08月18日 | Weblog
食後に皿を洗う仕事は私の分担である。
今や、何の抵抗もなく手が動き出すようになった。
時々、あんな簡単な食事だったのに、何故かくも多くの食器・フライパン・ボール・まな板・包丁等が必要だったのかと不思議に思うことはある。

今日は女房は朝から出かけていった。
小学校に「朗読」の出前だとか言っていた。
この暑い中でも平気で出かけていく、きわめて元気だ。

昼飯は一人で済ますことになる。
皿を洗うのはその後に朝の分もまとめてやることにした。
カレーライスを食う。

自分で食事を作るときは殆ど皿は汚れない。
昼飯に使用したのはカレー皿1枚とスプーン1個だけだった。
それにコーヒー用のマグカップ1個。

そして、すべての食器と調理具をあらいを終えた。
シンクタンクの中には白い洗い桶だけが残った。

暫くテレビをつけたまま「うとうと」とした。
気がつくと30分ほど眠ったみたいだった。
タバコが吸いたくなって、キッチンの換気扇の下に行く。

そこで驚くべき光景を見て背筋が寒くなった。
さっき洗い終えた白い洗い桶の真ん中に湯飲み茶碗が1個置いてある。
いつも女房が使っている茶碗だ。
茶碗の縁にはうっすらと口紅がついている。
さっき全部洗い終えたはずだし、1個だけ洗い残すはずもない。
だとすれば、洗い終えたあとに誰かが置いたとしか考えられない。
誰かがいるとすれば女房以外にはない。

「なぜ?」女房が帰っていたのかな、と思ったが帰っている様子はない。
わざわざ玄関扉の鍵も確認した、朝内側から鍵をかけたままだから内鍵を開けない限りは入れない。
私はお茶を飲んでない。


前から思っていたが、やっぱり女房はエイリアンだったのだ。
そして日本茶が好みのようだ。
物理的な空間は何の支障もなく移動できるのだ。

そのことはずっと私に隠しているが、時々こんなことでボロを出す。