思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

播磨へバス旅行

2006年11月25日 | Weblog
朝8時25分、約束の集合場所へ付く頃、
「○○さ~ん、早く早くっ」と手招きしている。
「今、奥さんに電話したとこよっ」
何と気ぜわしい、約束の時間までにちゃんと来てるじゃないか、と思う。
なんと皆が集まっていて私だけをしばらく待っていたらしい。

バスの正面には「古典文学を学ぶ会」と貼り付けてある。
何とも大げさで気恥ずかしい。

行く先は加古川の鶴林寺、高砂神社、尾上神社、古典の古今集に出てくる由緒ある神社仏閣だそうだ。
多分自分から選んでいくことはないだろう。

まあ、楽しい旅行だった。
昼食のとき元教授の講師の夫妻と一緒のテーブルだった。
奥さんも国文学の先生だったことが分かった。
夫が病気で倒れたので退職したと言っていた。
車椅子の夫にいつもニコニコして付き添っていてとても感じがいい。

それでも亭主の行為に時々口をさしはさむ、それが気に入らないのか亭主は怒ったりする。
それを子供を扱うように受け流しているのも好感が持てる。

この旅行グループも男性が少ない。
総勢35名ほどの中に男性は6名ほど、しかも私が多分一番若い。
車椅子の講師の介添え役を仰せ付けられた。
「階段を上り下りするときに、男手で手伝ってあげてください」
ごもっとも、しっかりとお手伝いします。
とはいえ、この講師、リハビリも兼ねてますから自分でやります、と介助を拒否する。それもごもっとも。

更に、「○○さん、カメラお持ちですね、念のため集合写真も撮っておいてもらえます?」
何じゃ、わしゃ事務局じゃないぞ、それもまあいいか、お役に立てるなら。
おばさん事務局は人使いが荒い。

さて、
この講師、旅の最後に謡曲の「高砂」を歌ってくれた。
昔、謡曲を習っていたことがあるそうで見事だった。

帰着予定6時のところ、5時半には帰着した。
これもバス旅行にしては異例。
時間に遅れそうなので予定をひとつカットして帰ったのだ。
何と生真面目な。

おかげで夜の2時間のダンスレッスンには予定通り行くことが出来た。

そうそう、バスの車窓から見る播州の紅葉はとても美しかった。

10キロのコシヒカリ

2006年11月22日 | Weblog
女房は先日のチラシで「コシヒカリ10キロ2600円」に拘っている。
今日、演劇の練習の帰りに「お米を買って帰る」と言い出した。
車では行けない場所にその店があるという。
「先着何名で売り切れとかじゃないの」
というと
「大丈夫、今月一杯その値段」
と自信を持って言う。

その店の近くまで車で行って、「この辺で待ってて」といって買いに行く。
駐車禁止の札が目立つ狭い路地で待ってろという。

さんざん待たされてイライラがつのる頃、10キロのお米を下げて、おまけに更に買い物した物を両手に下げて帰ってくる。

女房が「お値打ち品」を買う執念は恐ろしいものがある。

毒殺

2006年11月22日 | Weblog
時々「毒殺」のニュースを目にすることがある。
「えっ、この時代に?」と思うが事実のようだ。
旧ロシアから独立した某国の大統領も毒を盛られた節があり、毒が回って人相が変わってしまったりしている。
体制に反抗的な記事を書き続けた女性記者も毒物で殺害された模様、なんていう記事も見たりした記憶がある。
日本でも伊達政宗の親父は毒を盛られていたというような記憶があるが。

昔から毒殺は女性が得意とする殺人技であるようだ。
70%は女性が企むという統計があるそうだ。

推理作家の大御所アガサ・クリィスティ女史も「毒殺」のロマンを楽しんだ人のように思える。

多くの場合、食事を作るのは女性である。
恨みが高じれば「この際、毒を盛ってやれ」と思いつくだろう事は容易に想像がつく。
そう、和歌山の「毒入りカレー事件」があった。
女の心情恐るべし。

亭主の好きな物ばかり調理して太らせ、なんとか症候群に追い込み、自然死に追い込むのも完全犯罪のひとつかも知れない。


自殺者

2006年11月21日 | Weblog
日本では年間3万人以上の人が自殺する、と統計が出ている。
世界でも日本の自殺率は高い。
1時間の間に3~4人の人が死んでいく計算になる。
今この瞬間にも誰かが自ら命を絶とうとしていることになる。

生物の中で自らの意思で命を絶つのは人間だけで、他の生物は1秒でも生き延びようと努力する。
これは生命の本能のように思われる。
人間の高度な知力がその本能を妨げる。

自殺は人間だけに与えられた我儘な権利である。

絶望。
私はこの社会で生きていく意味を失った、ひとかけらの望みすらかなえられない。
ただ苦痛と絶望のみ、ここから開放されるのは死あるのみ、と考える。

あてつけ。
死んでやるっ!、と考える。
人間関係のこじれから、自分が死ねば相手が困るだろうと一瞬の激情に駆られる。

いろんな千差万別の事情があるが、多くは自分の周りの人間関係に適応できずに生きていく意味を見失い力尽きて死に向かう。
死を選ぶ気力さえも失って生きている人もいるかもしれない。

人間も他の生命と同じく、ひとつの種としての生命集合体だと思う。
そして間違いなく新しい生命を生み出し命を繋いでいこうとしている。
大草原で群れから遅れる子供を皆で庇う様に、我々も運命共同体として迷い出るものを群れに連れ戻すように行動しないといけないように思う。

生きる本能が阻害されつつあったとしても、人間には理性があるはずだと思いたい。

女と洋服

2006年11月19日 | Weblog
今日、午後少しの空き時間にたまに行くカラオケの店に入った。
1時開店と同時に入ったので客はまだ私ひとり、ママさんを見て
「あれっ」
と思う。
今までの晴れやかな初々しい雰囲気とはまるで違う印象。
この前行ったときは開店1周年とかで、華やいでいたように思う。

今日は何故か、くすんだ只のおばはんの感じ。
そうか洋服がいけない、ねずみ色の少し着古したような色あせたツーピース、靴も冴えない黒のパンプスのような。
足まで短く見える(失礼)。
そしてセンスゼロ。

もともと素人だから垢抜けたところは無いが、今日は華やぎが感じられない。

着ている洋服のせいで、彼女自身の気分がそうなっているのか、それとも彼女の気分のせいでそんな洋服を着ることになったのかは分からないが、身なりの整え方でこうも印象が違うものかと驚く。

ちなみに、うちのカミさん、
「私、年齢不詳、国籍不明と言われています」
と言ってた。
厚化粧と派手な服装を身上としております。
国籍不明は「奥目」のせいだろう。
水商売に向いてるかも、但し酒は1滴も飲めません、飲めばたちまち蕁麻疹が出来ます。




レッスン終了

2006年11月19日 | Weblog
夏から始まった「第9」の計12回のレツスンは今日で終了した。
後は佐渡裕氏の特別レッスンの自由参加と、大阪城ホールでの前日と当日午前の2回のリハーサルが残っている。

今日の講師は約束どおり、最後に「オーソレミヨ」を歌ってくれた。
やはり鍛えられたプロの声は素晴らしいと改めて感心。

最後に質問何かあれば、と聞かれて質問がいくつかあった。
初めて参加する人はとにかく現場の経験が無いので何かと心配になるのだろう。

質問その1
「歌うときに、正しい手の位置は?」
  (えっ、まさか胸に手を当てて歌うつもり?)
「自然に両脇に垂らしておけばいいと思います」

質問その2
「私達の歌う出番ですが、いつ立ち上がればいいんでしょうか」
  (うん、タイミングね)
「はい、皆が立ち上がるときに一緒に立てば良いです」
  (うん、ごもっとも)
第9の楽譜を示して実際にピアノで弾いてくれて、この時ですと説明していましたがそう簡単ではない。

今日は2回ほど通して歌ったが、今までのレッスンのグループとしては最高の出来ではないかと思う。
歌った~っ、という満足感が体一杯に感じることが出来る。
そして何故か生きていて良かった、とも思う。

信じられない値段

2006年11月18日 | Weblog
元サッカー選手の中田、ベトナム訪問中の安倍総理を表敬訪問した写真が新聞に載っていた。
なんかウサンくさい。

市場原理が支配する社会だから物の値段は需要と供給によって決まる。
それにしても理解できない値段が多い。

 有名絵画の値段
 有名スポーツ選手の値段

驚くべき高値、本当にその価値を反映しているのだろうかと疑いたくなる。
多分値段どおりの価値は無いと思う。
馬鹿げた値段としか思えない。
驕る事無かれといいたい。

何でそこまで

2006年11月17日 | Weblog
女房、
「私が出かけたときは家におって、私が家にいるときに出かけて」
「今日の英会話は駐車場が混むんでしょ、早く出かけたら?、早く行って勉強したら良いじゃない」
私、
「そんなに邪魔なら、1部屋俺の個室にすれば良いじゃない」
女房
「ダメ、部屋を汚すし、電気代、冷暖房代がもったいない」

それほどまでに一緒にいたくない訳だ。

というのは女房が家にいるときは大声を張り上げてる時間が多い。
発声練習、朗読の練習、歌の練習。
私がいるとやりにくいのだ。

古典散歩

2006年11月17日 | Weblog
今日は例月1度の「古典文学を学ぶ会」に出席。
先月は講師が風邪で休講、医者に行ったら即入院させられて2週間病院で過ごしたそうな。
今日は元通り元気だった。

今月24日は例年秋に実施している古典散歩の旅行、講師夫婦が既に下見をしてきたそうだ。
加古川の鶴林寺、これは聖徳太子が建立したと伝えられる寺だそうだ。
それに近所の尾上神社、高砂神社だそうである。
由緒来歴は当日のバスで配布し説明があるそうな。
昼食の手配までしてきたそうだ。
田舎町なので30名以上の人が急に行ったら食事の手配が出来ないからとか。
おいしい精進料理といってた。

帰り道に明石の「魚の棚市場」によってトレトレのお魚まで買えるというオマケつき、主婦が多いからという配慮とか。

古今集をはじめとする古典文学に顔を出す由緒ある土地をめぐる小旅行をしている訳だが、京都がかつての都だったこともあり、そういった由緒ある土地はいたるところにある。
既に来年のことまで計画していて概要を話してくれた。

講師は大学を辞した名誉教授、こんなことが生き甲斐になっているように見える。

講師の博学ぶりは驚くばかり、今まさに平安の古今集の時代に生きているかのごとき臨場感がある。
脱線ばかりしているこの古今集講座、すべて録音して録って置きたいような思いに駆られる。
このまま聞き流してはもったいない様な。

大相撲九州場所

2006年11月16日 | Weblog
夕食前の時間、テレビは大相撲の番組。
この九州場所、観客の少なさに驚く。
えっ、前からこんなに少なかったかな、それとも今場所に激減しているの。

国技といいながら日本人の上位力士にこれといった人気力士がいないことも原因かも知れない。
横綱が1人の時期も長すぎる。
角番大関が多すぎる。

このままでは凋落が目に見えている。
何とかしないと、相撲協会。