宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

年末の防潮堤見直し

2018年01月06日 | データ、転載など

宮城県では年末まで基本線の激しい攻防

防潮堤計画を巡って住民と県

グループFacebook <防潮堤研究会> より



●【朝日新聞宮城県内版】2017.11.16

 石巻市・表浜港 6mをめぐって県はゆずらず。

地元では漁師「半分の高さでいい」、白紙撤回できないか。南から越えてきた水が抜けない。

・ 10/29 広瀬俊介氏「住民の動き方次第」「住民は津波の知見をもっている。表浜は行政と住民が一緒になって考え、計画を立てられる場所ではないか」

塩釜市の浦戸諸島では3.3m⇨2.1mに変更。

 気仙沼市の鮪立では住民の要望で県が再調査で津波を弱める岩礁が見つかる。9.9m⇨8.1mに変更

 ・2011.7 国は「環境、景観、住民の利用などを総合的に考慮して決める」と自治体に通知。

・2015 国土交通政務官「住民と十分に話し合って合意形成を進めて行く事がきわめて大事」

 静岡県伊豆池塘では50の地区協議会が設けられ、事実上、高さを住民と行政で決めている。

 宮城県石巻港湾事務所の担当者「丁寧な説明を尽くし、一致点を見いだせるのか話し合いたい」と住民が反対しているうちは工事を進めないと言う。と言いながら、現時点では高さを話し合う姿勢なし。

 

【朝日新聞宮城県内版】2017.12.8

気仙沼市・港町 

県、地元の反対受け防潮堤着工見合わせる


(460メートル)

5メートルでは高すぎる。

  港町は大型漁船停泊場所。気仙沼を代表する観光スポット。乗組員の船内宿泊多い。陸から見づらい。「船員が海に落ちても分からない」「船に泥棒が入りかねない」と。

 

港町のまちづくりを考える会で、70の事業所、民家にアンケート。61件の回答。1件が計画通り賛成。25件、「これまで通り全くいらない」。34件、5メートルより低い堤防を求める。
「観光や生活に影響がある」「船の修繕などの仕事に影響がある」「壁の中での生活は、一大切な財産をなくすことになる」「この眺めが好きで生きている」との声があった。

 

一昨年県の海岸保全基本計画で港町地区について「観光・景観に配慮する」と盛り込んだ。

 県・市は計画自体は維持する考え。

 

宮城県の防潮堤は382カ所。243キロにおよぶ。気仙沼市の日門地区、石巻市の表浜で話し合い継続中。

 

【三陸新報】2017.12.12

 県と気仙沼市、住民団体が、位置を変更することで大筋合意。(11日)

県は14日に説明会を開く。


【三陸新報】2017.12.16

港町防潮堤 180メートルの建設に合意

県が変更案 残る整備は先送り

 

 【朝日新聞宮城県内版】2017.12.16

防潮堤棚上げ案住民に説明(14日)

気仙沼で 県、反対の声を考慮(高さ5メートル、460メートルの防潮堤を事実上、棚上げ)

県はこの日、魚市場で住民説明界を催し、約40人が参加した。県の担当者は、当初計画を当面見送る一方、南端に約180mの防潮堤を新設して南東側から伸びる他の防潮堤と接続し、近くの山につなげる案を説明。了承された。

<Facebookコメント>Kohsuke Fujita 人間の心身の自由度をゆがめ、よき景観や建造物の自然律を窮屈にする「まず防潮堤ありき」から離れられない根強い洗脳コンセンサス力にあきれる。幼稚なだだこね第二計画に大人が根負けして折れた構図。朝三暮四の策に喜んでいる向きも見える。──とりあえず住民の力が効力を発揮した所はさすが宮城県と思う。防潮堤のない自由な景観を改めて味わいたい。

 

【河北新報 web版】2017.12.16

<気仙沼港町防潮堤建設断念>

宮城県知事「現地点ではベストの案」

気仙沼市長「景観が守られた」

新計画案 接続を予定した魚市場前の防潮堤(海抜5.0メートル、長さ約1.3キロ)を西側に180メートル延ばし、山につなげる。 

 <コメント> Kohsuke Fujita  5m高は残り、陸閘や天井道路など不自然で、よくなったとは思われない。知事も市長も、それがいいというのなら深堀を進め首長として積極的に「ベスト案」「景観」のあるべき姿を求め,示すべきだ。あっち向いたままの空疎なリップサービスはやめてもらいたい。嫌みを言ってるのでない、日門、石巻表浜、どこの浜も、港も「ベスト案」「景観」を考えて疲れている。ベター案でも妥協案でも首長周辺から出てこないことがおかしかったのではないだろうか?


●(気仙沼市)小泉地区と歌津地区にまたがる草木沢の防潮堤建設見送り。2017.12.19



「防潮堤」について   〜ブログ管理人の年頭所感〜


3.11の緊急防災対策を農水省の官僚と国交省の官僚が話し合って国家的方針を決めた。こどもの頃の波打ち際につくった砂山を思い出しながらだったろうか。100年に1度規模と1000年に一度規模の津波をひねり出して中央防災会議の何やら調査会に諮った。わけが分からない年寄り連中の学者委員たちは官僚試案に少しの権威づけをして、それをそのまま各県防災技術会議に指示した。各県の学者委員会も了とした。それがそのまま岩手県、宮城県の各土木部の方針になり、ただちに設計され着工された。設計思想は国の思想であり、ゼネコンがそれを図面化した。本社から届いたものを支社が受け取り、平行して県庁が受け取り、採用した。各県の土木部が監修した事はそれが前例から大きくはみ出していないかどうかだけであった。初めは、県の官僚は二つのことで迷った。一つは県下当該自治体に諮るかどうか?一つは県議会に諮るかどうか? しかし今回予算は直接国から県に届いたものである。傘下自治体には報告し、独自管轄の分には予算を流せば良い。県議会には国発議の事業だからに大筋報告することでしかなく、県予算のように発議し諮り決議する性質のものではない。そうして、初めの迷いをクリアすることにした。


ところで、被災者に諮り、地元住民の意見を聞くプログラミングはどんな角度からもただの一回のチャンスもなかった。住民の意志の入る余地は徹底して排除している。民主主義もへったくれもなかった。民衆との関係では、宮城県庁と岩手県庁のとった態度は明治以来の頑固な辺境の官僚主義「知らしむべからず依らしむべし」を貫いてきたことである。被災者も被災直後の狼狽という状況の中でこれも官依存の強い辺境の住民は頑固に「官員さまに」お願いするポーズをとった。地元の持ち出しは0(ゼロ)すべてが国の予算ということがそその関係を強固なものにした。


そんなバカなことがあるものか。海は見えない、景観が壊れる、仕事の邪魔、防災にならない。 壁の中で浜の心象が切れた…。最初から、このような防潮堤反対の意見はあった。ここにきて、ぼつぼつ本音の声も聞こえ始めている。宮城県では県庁の設計を変更させたところ、工事の中止をさせたところも出て来た。7年目に入る今年もこの動きはつづく。いずれにしても防潮堤工事の進捗と、それを見つめる地域住民の間には大きな行き違いがあり、意識のギャップがある。岩手県では県庁はその修復をすることをあきらめたようにも見える…

前から聞こうと思っていたことがある。被災者からも、地域からもそのような意見が出てないのに、防潮堤はなぜこのように末広がりに国家的、県政的な戦略になったのか? なにがきっかけで、避難策でもなく、移住策でもなく、河川改修でもなく、貯水遊水池でもなく、防潮堤一本になってしまったのか? そもそも何一つ国民的議論になっていないではないか?

最初の担当官僚たち、農水省、国交省の官僚たちは、なぜ、どのようにして「防潮堤」という事を発想したのか?「うんそれをやろう」と思ったのか? ゼネコンの入れ知恵であり、土木建築業界のブリーフィングであり、コンクリート、鋼材の巨大サプライヤーの請願である。…ことは明らかである。彼らは千載一遇のチャンスを東日本大震災に見た、といえる。防潮堤は地域住民から提案したものではなかった。3.11災害で防潮堤は役に立たなかったから。


 





 

 

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