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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

★これでいいのか復興工事(7)岩手県県土整備部

2012年07月29日 | どうなる復興計画

c-2、堤防、防潮堤の技術


(5図)県土防潮堤のイメージ


県土整備部は、海側の防波堤や防潮堤の技術思想に高さを持ち込もうとしている。高さ、高さ、高さ、高さ、高さ…。低い防潮堤だと津波が越えてくる。高いのもので津波を喰い止めなければならない、という思想。前ページの技術の思想から県土整備部が、よって導き出した結論は「高さのある」防潮堤・河口水門によって津波の越流を防ぐというものであった。(5図)。必然的に宮古湾を一つの貯水ダムあるいは洪水を起こす可能性のある河川に見立てたのである。


こんなスピード感のない平穏な津波はないのです。山幸彦は津波はただ水かさがだんだん増してくるものだと思っている。見たままに大波を伴った増水と思っている、同時ではないが一様に来るものだと…。

(6図)



高さだけを問題にした技術思想だと津波の本当の破壊の力は把握できないばかりか、高さだけで防災を設計すると(6図)のような「防潮堤と水門で湾内を密閉する」宮古湾の歪んだ防災イメージしか出てこない。これでは設計側だけでなく住民側も「思考停止」におちいって、第二第三の東日本大震災を迎え入れるだけである。
この図のように、県土整備部が思うように、折り目正しく津波は襲ってはこないということだ。海幸彦から「やまご」と言われる理由でもあるが、中途半端(ちゅうとはんぱ)にしか海の自然を分かっていない。ダムや河川から類推した思想で、県土沿岸整備をする事は許されないのだ。そういうことになったら宮古市の海の自然や海の景観は無くなってしまう。あらゆる産業に支障が出て沿岸の経済は衰退…宮古市そのものが死んだものになる…

[関連記事] ▲▲宮古湾(津波)防災コンセプト(1) (2)





c-3、堤防、防潮堤の技術


県土整備部は津波の高さだけを問題にして、津波の力というものを過小評価している。津波の力とは、津波の破壊力、津波のエネルギー、津波の運動の力、津波の力のベクトル等といわれる「力」の事である。
 


(7図)



(7図)は一般的な津波の力のイメージ図であるが、具体的に、釜石湾口防波堤や田老の防潮堤を襲った3.11津波の力を書いた図であると思ってもらってもOKである。津波の力はその波の高さにあるのではなくここに矢印で図示されたベクトルにある。波や潮の高さ(深さ)から生じる力は重力や浮力としてタテの上下に生じる力であるが、高さから派生する横に働く力はベクトル的にはせいぜいその寄りかかり力にすぎず、大きいとは言えない事は前ページで図示して説明した。津波は上下ではなく運動として横に働く力が桁違いに大きい。前ページのいろいろな矢印の長さとほとんど無限大な(7図)の矢印のベクトルの長さを比べてほしい。比べようがないほど大きな津波の力とは、その水量と速度の二乗に比例するから桁違いに膨大な力になるといえる。ダムや川とはその点で比較にならない訳である。── ベクトルとは力の方向と長さで力の大きさを示す物理学用語であり、矢印の記号で表す。高校の物理で習うが今は中学校でも教えているかもしれない。「ベクトル」という言葉は普通語にもなって日常使われている。…(5図)(6図)に示されたベクトルはせいぜい大潮、高潮、大波を表しているにすぎない。津波ではない。

[関連記事] E=ams2:津波の破壊力の現実とは?


いずれにしても津波によって破壊された沿岸の全てのものは津波の高さによって破壊されたのではなく津波のベクトルの横の運動の力によって破壊されたものである。結論を言えば、津波の破壊力には高さは関係しない。それは表面的な事である。波の高さが力に関係するにしてもベクトルの力に比べたら微々たるものである。

津波防災の技術は、ダムの水かさ制御、河川の洪水防災が水深や水かさを問題にするのとは全く異なる力の問題を取り扱う事を言いたい。そこが出発点となる。








コメント (3)
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