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宮古金浜の防潮堤工事安全祈願祭
(2014.6.23 FNN めんこい ニュース)
津波で倒壊した宮古市の金浜海岸の
防潮堤工事が本格的に始まるのを前に
きょう安全祈願祭が開かれました。
…以下ユーチューブで…
津波で倒壊した宮古市の金浜海岸の
防潮堤工事が本格的に始まるのを前に
きょう安全祈願祭が開かれました。
完成は2017年3月の見込みです。
安全祈願祭には県や工事関係者など
およそ40人が出席し鍬入れなどをして
工事の安全を祈りました。
金浜地区には震災でおよそ13mの津波が押し寄せ
高さ8.5mの防潮堤も超えて甚大な被害が出ました。
県は、今回の工事で防潮堤を1・9mかさ上げし
高さを10・4mにする計画です。
長さは1286mで
このうち今回着工されるのはおよそ900mです。
残りの区間は土地の所有者の了解が得られない場合でも
土地を取得できる「土地収用法」の手続きを進めていて
今年度中に発注する予定です。
金浜地区自治会の山本唯雄会長は
「これを機会に家が建つようになればいい。
安全になるので(早く)できればいいと思っています」
と話しました。
金浜海岸の防潮堤復旧工事は
2017年3月までに完了する見込みです。
(web 岩手日報 2014.6.25)
【写真=部分完成した防潮堤(左)。従来の防潮堤(右)より高く整備された】
県の広田漁港海岸災害復旧工事で、陸前高田市広田町の広田漁港の防潮堤の一部が完成した。計画する全長約千メートルのうちの最初の工区(2カ所、計108メートル)で、海面高は8・1メートル。残り工区や水門を含め、2016年度の整備完了を目指す。
東日本大震災で、同漁港周辺には約13メートルの津波が襲来した。復旧させる防潮堤の高さは住民と協議し、宮城県沖地震などで想定される数十年から百数十年に1度の規模の津波を防ぐ高度に設定した。地盤沈下で低くなった既存の防潮堤(沈下前は海面高6・3メートル)より約3メートル高い。
事業費は1億1202万円。重量で被害を防ぐコンクリート造りの重力式擁壁から、漁港用地を減らさないように、幅を取らない鉄筋コンクリート造りの直立堤に変更。門扉は7カ所設置し、遠隔操作を可能にする予定。
※ 写真を見る限り高さはあるようであるが広田湾を襲撃する津波の衝撃に耐え得るようには到底思えない。設計デザイン/配置も杜撰(ずさん)に見える。どのように市民検証が行われているのか?
また、確認したい事は先きの震災ではここは「1.2m」の地盤沈下があったという事か? 1.2mにせよ3.0mにせよ住民はじっくり説明を聞いて足を踏んづけて確認しているのか?
「数十年から百数十年に1度」というのは200年間に1度の津波という事でいいのか?──「百数十年に1度」という事であれば200年間に1度という事であるが「数十年に1度」という事であれば200年間に最大20回ある津波の事である(そのような事はないわけではない)。いいかげんな津波の定義である。官僚の都合でつくられたこのL1、L2定義の曖昧さに沿岸の人類は向こう200年間悩む事になる。
「幅をとらない」直立式という事も工事する側だけの工事のための工事の都合のように思える。衝撃に対する強さとか対津波効果という事は考えられていない。
かえすがえす地元住民はごまかされてはいけない。ごまかされないということが3.11大津波の最大の教訓であったはずだ。県のいいなりになる事はない。(ブログ管理人)
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地域を壊す巨大防潮堤 (新聞投稿)
(岩手日報 2014.6.27)
【横書き】巨大防潮堤に反対する沿岸の人たちの「海が見えなくなるから」という理由は、視覚的に海の景色が見えなくなるという意味だけではない。地域のなりわいである漁業産業が成り立たなくなるということを言っているのだ。
私の故郷である宮古市鍬ヶ崎地区は漁業の町である。私の家はそうではなかったが、幼友達の多くの家は漁業家であった。鍬ヶ崎は小学校は一つ、子供たちは漁師の子も陸(おか)の子も区別なく浜や岸壁を遊び場にして一緒に過ごした。
小学校のとき、仲間3、4人でサッパ船を出し、宮古港内でサバ釣りをして遊んだことがある。どうした弾みか、いかりの綱が切れて、いかりと綱が海に沈んでしまった。その時「山を見ろ」と叫んだのは漁師の子であった。遠くの山並みと近くの建物を直線で結んでサッパ船の今の位置を記憶するというのだ。二本の直線の交点が船の位置となる。後で親に報告してさおやカギで落としたいかりを引き上げるという。
一緒に遊んだが、今思うと彼ら漁師の子の遊び方、海や家業の理解の仕方はどこか違っていたのだ。漁師の子はそれなりに家業の手伝いも欠かしていなかった。
私の友人世代は中学卒、高校卒で漁師になった人が多かったが、今は普通に高校、大学と進学して社会人になる。就職先も地元に限らない。しかし、成人して「分(ぶ)がある」と思えば、彼ら彼女らは途中からでも漁師など漁業関係に職場を求めUターンする。「分がある」というのは経済的収入や待遇の厚さであり有利な働きがいである。その他に家庭の事情や仕事の好き嫌いなどの判断もあろう。親兄弟のからの誘いや友人からのアドバイスもきっかけになる。この人たちは漁師を含めて漁業への転入の抵抗感は少ない。幼い頃からの遊びや手伝い、海の仕事の見聞や体験があるからだ。
沿岸ではこのように細々であれ漁師をはじめ漁業者の後継者が育っている。「海が見えなくなる」ということはそのような海辺を介した世代交代のサイクルを大きくかえてしまう事を言っている。防潮堤は子供から海を遠ざけ、親子間や、地域内外の人のつながりをないものとするのだ。防潮堤は生活や地域を破壊するといっても言い過ぎではないように思われる。