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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

土地区画整理事業完成予想図(田老)2

2013年03月31日 | 防潮堤

 二重防潮堤にスロープ新設へ 宮古・田老地区

(web 岩手日報記事)


(一部略)

  宮古市田老地区の復興のまちづくりでは、震災前「防災のまち」の象徴でもあった二重防潮堤が変わる。

 

 

 

 「X型」の交わる中心部は分離され、1線堤は海抜14・7メートルの高さで海寄りに移設。山側の2線堤は平均70センチかさ上げし、それらの防潮堤を乗り越えるスロープが2カ所に新設される。

  スロープの設置は、まちづくり原案を考えた住民組織が提案した。水門閉鎖後、港付近にいる逃げ遅れた観光客らの迅速避難と、水門閉鎖に当たる消防団員の命を守ることが狙いだ。

  東日本大震災で同地区では181人の尊い命が奪われた。そのうち、水門閉鎖や避難誘導に当たった消防団員は10人。消防団員には、人命救助のため住民や観光客全員の避難を待つか、自らの命守るために避難するか、難しい決断を迫られる。

  グリーンピア三陸みやこの仮設住宅で暮らす市消防団本部付分団長の田中和七さん(58)は「水門を閉めた後もその外側にいる人が逃げられる。『見捨てたのではない』と団員が感じることができる」とスロープの意義を語る。

(2013/3/24)

 

 修正には説明責任を よいとか悪いとか一概にいうつもりはないが防潮堤にこのスロープのようなアイディアや設計変更を加えることはどうなのであろうか? 防潮堤のような施設は自治体や学者が中心になってしっかりした目的や効果を説明して、市民との合意形成の上で計画されるべきである。企業や個人、団体、有力者などの修正意見もよくよく吟味して市民との合意を取り付けることは言うまでもないことである。しかし、そのような要望や私権が多すぎ、なおかつ説明なしにこのように既成事実化することが横行している。

 

変更は施設を弱くする 私には、要望や私権を受け入れるたびに防潮堤の所期の効果が1/2ずつそがれていくように思える。河川やほかの排水溝を防潮堤を切って通したい、陸閘の数を増やしたい、広さを広げたい、1線堤を海側に移したり、鍬ヶ崎のように線堤を奥に広げたり(これらは今でも説明がないままである)、日立浜等の船揚げ場、太平洋セメント大船渡工場の都合のため等々、いろいろな理由で設計が変わっていく。防潮堤はモニュメントではなく津波に対峙する防災建造物である。排水溝やコンクリートの瑕疵・空疎からの崩壊が全体に拡大する恐れが常にある。またデザイン・線堤の変更等による脆弱化懸念がある。主導者は常に説明責任を負っている。

 

 スロープは新しい変更 一方このようなスロープのような新しい観点での修正についても、自治体(宮古市)は特に根本に返って説明責任を果たすべきである。「実際とは異なる場合がある」とか問い合わせ電話番号が書かれているというような問題ではない。 観光客や消防士や港湾従事者が湾港部等から避難することのトラブルは先の津波の経験からも最重要懸念の一つである。1)地震と同時に陸閘から避難する人とクルマ。2)少し遅れて陸閘を急いで通り抜ける人とクルマ。3)陸閘が閉まって従来仕様の避難階段を徒歩で上って退避する人。4)最後まで遅れた人とクルマがクルマを使ってスロープを利用するという修正──という構図である。最初から4)から始まる場合もある。防潮堤を跨ぐスロープはクルマ社会化した港湾、沿岸の防潮堤についてまわるイメージとなる。田老でできた物は全国の防潮堤の標準となるべきだという議論がおそかれはやかれ巻き起こるはずである。 

 

 根本の問題 このようないろいろな修正による防潮堤の脆弱化懸念やスロープのような多様化対応策と同時に、これらのいろいろな修正提案は防潮堤の根本問題を曖昧にするマイナス効果も心配されるところである。(根本問題とはいうまでもなく防潮堤そのものの是非。防潮堤は津波を防げるか、人の命を救えるか? 地域社会を救えるか? という根本の問題である)

 

 

 

続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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