検証 鍬ヶ崎沖の二大防波堤は防災機能しなかった
下の図面をよく見てほしい。この地図をつくった関係者、当該工事を計画していた当事者たちはこの地図を見るたびに後悔の念でほぞを噛む思いに違いない。いな、何よりも津波被災地の日立浜地区住民と鍬ヶ崎地区住民は「早く完成していれば」と悔しい思いでいっぱいになるだろう。両防波堤ががっちり完成していれば、鍬ヶ崎地区、日立浜地区の津波被害は免れた、と言わないまでも半減、減災になり、将来の津波対策も今より明確になっていたはずであるからである。
検 証
岩手県 県土整備部発行 平成19年8月現在 「宮古港平面図」の一部
今次3.11津波襲撃時、図面上方の龍神崎防波堤は完成していなかった。国土交通省釜石事務所のホームページでは最後まで「400m(整備中)」とコメントしていた。3.11大津波では陸側の静穏化どころか整備中のこの施設そのものが壊滅的に破壊された。この施設の目的は津波防災施設ではなかったが… では、何のためにこのような施設をつくっていたのか? 波浪「静穏化」というだけでは当然説明にならないと思う。無目的の計画としか言いようがない。震災後も改めて工事は進んでいるが無目的の計画レベル自体は変わっていない(この事は縦割りの弊害である事は分かると思う。目が点のままだ)。県図面凡例では平成19年現在でも性格のはっきりしない「外かく施設(計画・既設)」のままである。県土整備部の次回図面も同じ文言「外かく施設」になるであろう…
下方の出崎防波堤も3.11津波で壊滅的に破壊された。こちらは広く認知されたまぎれもない防波堤であったが補強工事計画中であった。しかし、3.11時点では着手すらされていなかった。結果論的ではあるが計画のための計画であったといえる。図面凡例で見ると19年現在「公共耐震強化岸壁(計画)」で補強される予定であった。言葉だけ追えば住民が喉から手が出るほど希求していた鍬ヶ崎港のシンボル赤灯防波堤の耐震補強計画であったのである。しかし耐震強化工事は間に合わなかった。計画者の心中や如何にと思う。
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両防波堤の計画が完成されていれば、日立浜、鍬ヶ崎地区の津波被害状況は大きく変わっていたはずであった。なぜ 3.11に間に合わなかったのか? うまくいけば 3.11に間に合ったものなのかどうか? 間に合えば、本当に、地区住民の期待する防災効果が発揮されたのかどうか? (そもそも両計画とも実は間に合って完成されていたのでは?の念押しも必要である…) ── 以上の疑問への回答は当事者は分かりすぎるくらい分かっているはずである。
しかし以下の通り、その事は永久に述べられる事はない。
検証 縦割り組織。二大防波堤の機能と役割り
大震災から3年目の3.11を迎えたいま、両防波堤は、急ピッチで破壊を修復し補強がなり、また完成に向けて工事中である。しかし、その防災効果についての信用は得られていない。地域住民からの信用はもちろん、当事者の国土交通省、岩手県県土整備部、宮古市自身がその事に無関心であり両防波堤は津波防災効果についての無検証のまま工事がただただ先行しているからである。
注)このページでは両防波堤だけに言及しているが出崎ふ頭についても事態は変わっていない。出崎ふ頭に津波防災機能は求められていない。3.11の後も計画の変更は無いようだ。ただこの図面を見て分かるようにふ頭先端の(工事中)、凡例の(計画・既設)は19年現在でもでたらめであり見たくも考えたくもない。
検 証
3.11大津波襲来時に、龍神崎防波堤は完成しておらず、出先防波堤の耐震強化は間に合わなかったばかりか着手さえされていなかった。上段では、もし間に合っていれば…という事を書いたばかりであるが、「もし間に合っていても」「この二大防潮堤は津波防災には役に立っていなかった」と訂正させていただかざるをえない。
それは両防波堤が津波対策用の施設ではなかったからである。龍神崎防波堤と出崎防波堤(赤灯防波堤)はそれぞれ工事や管理の管轄官庁が異なる。国や、県や、市のどれがどれなのかは私もよくわからないが、それぞれの防波堤の宮古港湾における役割は津波防災とは別のものであった。どのような役割りかもよく分からないが鍬ヶ崎市街地の津波防災の役割りでない事だけは確かである。出崎ふ頭や藤原ふ頭、鍬ヶ崎港岸壁や閉伊川河口岸壁の波浪静穏化のためという漁業関係や荷役関係に顔を向けた漠然とした役割があるだけだ。その事を拡大して、あるいは修正して「鍬ヶ崎市街地の津波防災の役割りもある」とは口が裂けても言わないであろう。それを言うったら当然にも鍬ヶ崎の「防潮堤」に抵触する事になり言及する事になるからである。他の担当部局の計画に口出しする事になるからである。検証されるべきだと思うが、両防波堤の目的書、設計図面を取り寄せてよくよく吟味してみてもどこにも津波防災に係る記述はないはずである。学習能力というものがない。今も、千年に一度という大変な犠牲を伴った大津波の後も、立地地元の被害に一顧だにしないで、震災前の図面に沿った工事を進めているだけだ。自分たちには津波の役割はない。設計も、工事も、業者も、別のクルー(役所、系列)がおこなう。津波の事は彼らが行い、自分たちは行わない。── これを考えると腹が煮えくり返る気持ちになる。すぐそこに大きな防災の可能性があるのに、横の連携がないばかりか、こうして地元住民の悲願が排除されている。
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検証 防災計画を阻害する予算の流れ
それぞれの防波堤の権益を守ってそれぞれの管轄役所が、また利権のある民間団体や業者、商社が、その系列の腐った仁義を果たしているといえるのである。一般の市民は、そのような事はヘンだと思うかもしれないが、これが役所の縦割組織という事であり、それぞれ、つながっている建設土木業者や利権団体のみで利益(予算)を囲みこんでいるムラ社会という事なのである。
検 証
普段から不思議に思われていた、住民の目の前の防波堤の存在や工事についてさえ、説明やPRが鍬ヶ崎、日立浜地区住民など一般市民にいっさい届いていない。震災前後を通じて住民はまるで目隠しされている状態におかれてきた。 ── なぜなのか?公的な予算の流れやそれを巡る利害の優先ががその理由である。
分かりやすくいえば、何百億円という予算が災害復興住宅建設に投入されようとも入居者の月々の家賃はただになるどころか市況並みの高い家賃が設定されているという事と同じである。復興予算の恩恵は被災者を素通りして大半が大手業者の利益(コスト)に還流しているのである。首長や役人や議員は予算とコストを市民の立場で議論し管理しているとはいえず、まるで業者の立場にたって管理している。対象が復興住宅であろうと、防波堤であろうと、ふ頭であろうと、防潮堤であろうと、閉伊川水門であろうと、何であれ、一般市民はていよく排除されて、工事は、全く各官庁各部局の私的事業となり、工事のための工事となっている。この傾向は変わる事がない。