ギネスだ、ギネスだと海面から63mの世界一の深さを誇り観光船まで運行した釜石湾口堤防が今次津波で無惨に崩壊してしまった。壊れた防波堤の検証も見えず、市民感情も未だ回復しておらず、高地移転などの民生復興のめども立っていないさなかに、工事だけが先行する意味はなんであるのか?
[湾口防波堤の着工式に続き、復旧工事の説明を受ける出席者たち] 26日午後、釜石市、葛谷晋吾氏撮影(asahi.com)
(1)「ねばり強い」工法と言葉を変えただけ。今次津波の実態も充分に分かっていないのに、従って、旧工法の崩壊の原因も意味もなにも分かっていないのに「まず、倒れたり、ずれたりした防波堤のケーソンを砕いて取り除き、新たなケーソンを設置する。基礎部分は従来よりかさ上げ、ブロックで覆うことで巨大津波に堪えられる」(asahi.com 2/28)というもの。思わず「うそだ!」といいたくなる。ねばり強いとは思えない、一貫性のない付け焼き刃工法で従来よりももろく、弱い堤防になるという事は素人でも分かる。土木工学会でどう評価するのであろうか?釜石市民のコンセンサスはどうであろうか? という以前の拙速工事である事はいなめない。ギネス本部も世界一のギネス称号は撤回したであろうが、それはまあギネスの信用を狂わせた本部としての屈辱の悲劇であった。しかし、この度の復旧工事着工についてはギネスエントリーはおろか東日本震災の喜劇として世界中が注目して見守っている。
(2)着工式で野田武則釜石市長は「湾口防波堤がなければ被害はもっと拡大したであろう」(web岩手日報 2/27)と政治家の「レバたれ」発言、イージーな言い方でこの反世紀の工事を祝した。湾口防波堤があったがために、釜石市民の命がどれくらい失われたかについては口をぬぐったのである。釜石市民の津波による犠牲者の実態、その亡くなった状況、生きた状況、防波堤の状況への良し悪しの影響など、調査や市民感情がまだ定まらない時期に早々とそのような発言を繰り返している。釜石市長,大船渡市長,宮古市長の拙速(せっそく)発言は、皆、このような予算のための中途半端なパフォーマンス発言である。じっくり市民のコンセンサスをとろうという耳を持たず、国の予算が逃げていったら(自分が)困る事ばかり考えている。選挙で選ばれる首長の公共工事だのみの神話がまだ横行している。市民が求めているのはそうではなく本当の復興である。なくなった堤防ではなく、なくなった家をまず回復したいのだ。…
(3)工事着工式はまさしく政治家と官僚と、工事関係者だけで行われた。彼らは未だ、この問題が広く市民主体の(安全,防災の)ものだということを知らない。上から目線の「市民のため」で、その実態は自分たちの工事のための自分たちの工事である。それぞれの利害の思惑だけがすけて見える。日本の大手のゼネコン各社は向こう3年で復興需要17兆円を期待して業務を東北に重点シフトしているという。鹿島、清水,大成、大林,五洋,…。ゼネコン、コンサルタント、ひもつき研究所、あらゆるサプライチェーン、のコンクリート族の営業活動は前の前の前から始まっているのである。防波堤の設計もそのリフォーム計画も、工事行程のタイムテーブルも、商売優先の無反省で出来上がっている。前の設計ミスや手抜き工事,談合の事は軽々と忘れ去られて…。(人の耳目を集めているいわゆるシミュレーションもほとんどがこの大手企業の技術者やコンピューターがはじき出したものだ。県庁や市や国が作っているわけではない。シミュレーションのテーマや目的がなんであるかは分かると思う)。官僚や政治家はその流れに乗るのが大義だと錯覚して、その期待に答えるために何でもやるつもりのようである。市民に向けた顔が仮面であってはこまるのである。
大体にしておかしいではないか?役に立たなかった防波堤をまたもとのままにつくり直すという事は!
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