徒然スキーヤー日記

冬は毎週志賀高原レポート
夏は子連れダイビング情報
スキー試乗や旅行記の目次は「このブログについて」カテゴリー見てね

焼額山スキー場の歴史を振り返ってみる…1984シーズン,志賀高原にオープンした時のリフト・コースはどんなだったか?

2020-09-19 06:08:45 | スキー雑談
えー.
なんだか,以前記事にした焼額山マニアッククイズ
このネタで,私の予想以上に焼額山の
歴史を懐かしがってくれる人が多かったので.

今回.
焼額山スキー場のリフト・ゴンドラが
オープン以来,どのように変遷していったか

というあたり.
…ちょっと歴史を振り返ってみましょう…

ただ.
Webをひっくり返しても,過去のスキー場マップは
出てきません(涙)

というか,スキー場オープンから20年ほどは
焼額もホームページが無かったと思うので,
そもそも電子版のマップなんて存在してないし.

だもんで.
限りなく不正確だという自信がある,私の記憶
をたどって再現してみたので.
間違いはいっぱいあると思います.
間違ってたら,「こうだったよ!」というツッコミを
コメントしてください!
…でも,それが正しいか検証する方法が私には無いので,
「そうだったかなぁ…」
というあいまいな返事でスルーするしか
ないのですが(笑).


ってなことで.
まずは現在の焼額山スキー場の復習からですが.
焼額山常連さんにとっては,おそらく親の顔より
見ているであろう,2020シーズンのマップがこいつ.

焼額山ホームページ,ゲレンデマップより引用)

Google mapで見ると,焼額があるエリアは
こんな感じ.

赤く括った部分が焼額山エリア.
リフト・ゴンドラをこの上に重ねると
こんな感じで.
オレンジがゴンドラ,緑が高速リフト,
黄色がペアリフト.
現在は,計5本のリフト・ゴンドラがあります…


で.
焼額山オープンは,1983年12月.
1984シーズンにオープンしていますが.
その時の焼額山スキー場のゲレンデに,
ワーーーープ!

…焼額山スキー場.
なんと.
この赤色部分で囲った部分だけでした!

このエリアに,
第1ゴンドラ(4人乗りタマゴゴンドラ)
第1ロマンス
第2ロマンス
第3ロマンス

の4本のリフトが架かってました…

第2ゴンドラ,第2高速,第3高速,
第4ロマンスは影も形もありません.

今とオープン当時のゲレンデを比べてみると,
こんな感じですね…
(現在)
 
(オープン当時になかったコースを塗りつぶしてみた)

今より全然エリアが狭いし.
一の瀬から,すごく離れて見えますね…

っていうか.
この時.
まだ,一の瀬から焼額にまっすぐつながる
道路は造られてなく.
水色の道に沿って,奥志賀からぐるっと
回っていくしかなかったんですね~…!!

感覚的には,完全に奥志賀より奥の
スキー場なので.
完全穴場,ガラガラ.
一の瀬が激込みでも,焼額は誰も滑って
ませんでしたね~.

…そして.
焼額から一の瀬まで,沢が1本,
尾根を一つ越えなくてはならないので.
まさかこの数年後,焼額と一の瀬が
繋がるとは.
ゆめゆめ思ってませんでした…
(遠い過去を振り返る目)


とりあえず.
オープン当時の焼額山スキー場.
まだ,高速リフトが無かった時代で,
リフトも300mとか500mの長さが普通だったころ.
ゴンドラが約2km,
リフトも3本すべてが約1km.

どちらも乗車時間10分近くという,
当時の基準としてはおかしいほどの
超ロングコースなスキー場
だったのが
印象的でした…

あ,コース幅は
今よりずっと狭く.
全てのコースが林間コース程度の
幅しかなかった思い出が
あります…

そうそう,レストランは,第2ロマンス
乗り場にあったんですよね.
確か,2階が獅子,
1階がアリエスカだったかな?

焼額はコース幅が狭く,奥志賀のダウンヒルの
方が圧倒的に広く滑り良かったので,
1ゴン→奥志賀ダウンヒル→焼額3ロマ→1ゴン
と回して,奥志賀ばかり滑っていた思い出が…
あ,この当時,奥志賀ゴンドラは無く.
ダウンヒルの一番下から山頂まで,
リフト4本乗り継がないといけませんでした…

…そうそう,この時は公式にはまだ
奥志賀と焼額はつながって無く,
ふみ跡のある草むらを数m突っ切って
焼額に抜けてましたね…

今じゃ,奥志賀ダウンヒルより
焼額GSコースの方が’圧倒的に広いので.
今だと,なんでそんな無駄なことをするのか…
と思ってしまうでしょうが(笑).

ってなことで.
今回は,オープン当時の
焼額を振り返りましたが,
次回以降,現在までの変遷を
綴っていきます…!

子供の頃の記憶なので,一部間違ってるかも.
確か,1歳か2歳のときだったかな…?←嘘


次回へ続く)
コメント (11)