徒然スキーヤー日記

冬は毎週志賀高原レポート
夏は子連れダイビング情報
スキー試乗や旅行記の目次は「このブログについて」カテゴリー見てね

焼額山スキー場の歴史を振り返ってみる4…長野オリンピックがあった1998がピーク.志賀高原スキー場全体の1999年マップと今を比べてみる

2020-09-27 00:24:04 | スキー雑談
ということで.
長野オリンピックの年,1998年にほぼピークを迎えた
焼額山スキー場.

…でも.1998年の頃には,すでにバブルも
崩壊していて.
スキー客も1992~3年ごろをピークに
明確に減少してきており.
オリンピックのために強引に投資を
続けていた

感じで.

オリンピック以降,なんだか下り坂を
下っていくような,悲しい感じになって
来ました…

ということで.
オリンピックの翌年から.
○16年目 1999シーズン~18年目 2001シーズン

この年は,オリンピックの1998年と
全く変わりません.


ちなみに,私がもっている,
もっとも古い志賀高原マップがこちら.
1999,2000,2002年のマップです.


この,1999年のマップを見ると…
いや.やっぱり計11本のリフトがあった
この頃が焼額のピークだったなぁ…という
感じですね.

ただ,このうち赤矢印で描いたあたりに,
ミドル連絡コースがあるはずなのですが.
まだこの頃には,ミドル連絡コースは
無かったようですね…

それ以外,今あるコースはこの時には
もうすでに揃ってます!

焼額に限らず,志賀高原全体が
この頃がピークだったなぁ…


志賀高原全体を見渡してみて.
廃止された設備を赤い星印でマークしてみましたが.
まず,丸池・蓮池・サンバレーエリア.
サンバレー
③の法坂第3シングルリフト
②の法坂第2ペアリフト
の2本が無くなり.
丸池はナイターが無くなり.
蓮池
⑧の高速ペアリフトが消えてます…
ジャイアントは,
⑪のジャイアントペアが無くなり,
⑫の高速トリプルは低速ペアにグレードダウン


中央エリアを見てみると…
あぁ.この頃はまだ山の駅から
発哺までのロープウェーがありましたね.
⑨のロープウェーが消え,
ロープウェーにつながる⑩のシングルリフトが消え,
⑭の発哺高速リフトが一昨年に無くなり,
高天ヶ原では
⑳の並びのペアリフトが消え,
㉒のトリプルが無くなり.
タンネの森
㉗のペアが消え,
ダイヤモンドでは
㉙のトリプル
そして,寺子屋
㉟の寺子屋第4ペア
が消えてます.


熊の湯エリアでは.
笠岳スキー場
前山スキー場
の二つの
スキー場が丸々消えてます!!
…ただ,熊の湯のリフトは1本も
減ってない
ところがすごいかも.


横手.渋もほぼ変化が無いですね…
無くなったのは,
75の渋峠クワッド
くらいですね.


やっぱり悲惨なのは焼額エリアかも…
山の神は,
㉛の山の神トリプルが消え,
焼額
㊳の第1高速,
㊶の1ロマA
㊷の1ロマB
㊻の5ロマ
㊸の2ロマ
㊹の3ロマ

奥志賀が,
54の第7リフト

と,計7本が消えてます…


とりあえず.
1999年に有ったリフトでこれまでに廃止されたものは,
ざっと数えて20本(涙)
そんなになくなってるのか…

ということで.
焼額の歴史も,これからはほぼ縮小の歴史になります…
(まだ終わらない!次回へ続く)
コメント (7)