1. 黙示録にこういう記述がある。
6:9 第五の封印を解き給ひたれば、曾て神の言のため、又その立てし證のために殺されし者の靈魂の祭壇の下に在るを見たり。
6:10 彼ら大聲に呼はりて言ふ『聖にして眞なる主よ、何時まで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給はぬか』
6:11 ここにおのおの白き衣を與へられ、かつ己等のごとく殺されんとする同じ僕たる者と兄弟との數の滿つるまで、なほ暫く安んじて待つべきを言ひ聞けられたり。
2. 次はマタイ伝から
3:24 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。
13:25 人々の眠れる間に、仇きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。
13:26 苗はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。
13:27 僕ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麥あるか」
13:28 主人いふ「仇のなしたるなり」僕ども言ふ「さらば我らが往きて之を拔き集むるを欲するか」
13:29 主人いふ「いな、恐らくは毒麥を拔き集めんとて、麥をも共に拔かん。
13:30 兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん。
この文章から推察されることは【分別に紛らわしい間は放置】して【毒麦と正常な麦】或は【稗と稲】の違いが明確になった時点で一挙に【毒麦】を刈り取って火に放り込む。
今日、日本社会の転覆を図る、皇室の排除を広言する、日本国なる枠組みを撤廃したい、等々の事を吹聴して憚らぬ者共や言わないまでも心ひそかに念慮或は企図するもの、期待する者共、色々居るだろう。
国家ぐるみ民族ぐるみでやっている者もある。或は日本の山林水源を買い占めてなしくずしに浸潤しようとする者共もあるようだ。
これらについて政府は何をぐずぐずしているのか?!と苛立つが、どうやら分類が進行しているのだろう。何故そう思うかと言うと、『エッ!こんな人物も日本再生にチャチャを入れるのか、生きてたのか?』と言う事例を見る。おそらくこうして全てのネズミが正体を明確にさせられつつあるのだろう。そして分類が完了した時、一挙に裁定が下るのではあるまいか。
考えても見よ、あなたがゴミ屋敷の再生を任されたらこのような手順でやるだろう・・
1)玄関を開ける。
2)内部を目視点検する。
3)袋を準備して不要物と必要物を選り分けて収納する。
4)一切の収納が終わったら、トラックを持って来て不要物をゴミ焼却場に運び、棄てる。
これに対比すれば
1)新時代の王、イエス・キリストが地球に来ている(見よ、彼は雲に乗って来る、つまり見えない状態で来ている)
2)アースレッドに相当する空気、問題、雰囲気、心理状態、政治状況、事態、事象を世界にみなぎらせる。それに覆われて苦し紛れにあちらの隅こちらの物陰からゴキブリ、ムカデ、ゲジゲジ、ナメクジ、ネズミ、蛇などが這い出てくる。
3)これで全部、と見定めたらそれらをまとめて袋に入れる。
4)焼却
小さい規模で問題が起こる度に処理、にはならないだろう。正常な感覚の人々の心痛が極限に達するまで跳梁跋扈する、言いがかりをつける者共の好き勝手にさせておくだろう。
マタイ伝から・・・
13:37 答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、
13:38 畑は世界なり、良き種は天國の子どもなり、毒麥は惡しき者の子どもなり、
13:39 之を播きし仇は惡魔なり、收穫は世の終なり、刈る者は御使たちなり。
13:40 されば毒麥の集められて火に焚かるる如く、世の終にも斯くあるべし。
13:41 人の子その使たちを遣さん。彼ら御國の中より凡ての顛躓となる物と不法をなす者とを集めて、
13:42 火の爐に投げ入るべし、其處にて哀哭・切齒することあらん。
傲慢不遜に己の身勝手な心理葛藤による思想信条を吹聴・・した段階で分別されている。