今の医術に猜疑の目を向けている。
ずっと昔、風邪を引いて大変きつかったのでたまらず近所の医院に飛び込んだ。診察室に出て来たのは70歳は越していると思しき医師だった。一通り問診して聴診器を当て、『注射しましょう』と出して来たのが静脈注射のデカイ注射器だった。アンプルを切ってそこに針を差し込んでと、一連の手つきが何やら震えている。『困ったなあ、来なけりゃよかった』と不安になったがもう逃げられない。しかし、腕にバンドを巻いて、針を青く静脈が見える辺りにあてがうと震えがピタリと止まった。ウーム、流石はプロ!・・・てきめんに効いた、治った。
この一週間、風邪で苦しんだ。流石に意地っ張りも折れてクリニックに行った。医師はコンピュータの画面を見ながら、『どんなありますか』と聞く。『咳が出てきつい、のどが痛い、あちこちだるい』などと話した。注射打てば一発で治るのにな、と思って期待していたのに注射のチュの字も出ずに終わり、処方箋を貰って近くの【門前薬局】に行った。昔は水薬とか粉薬を貰ったが今は総てカプセル、正直アリガタミが薄い、荘重さに欠ける。故に効果も弱い、ジェンジェン治らない。
こんなことするぐらいだったら昔の越中富山の入れ薬のほうがよっぽどマシだ、と思った。よく風引いた時に飲まされた粉薬、夜中にばーちゃんが裏の雨戸をあけてオシッコをさせた、それが赤いションベンだったのを憶えている。『クスリが効いてるんだ』と思ったものだ。現代は感動ってもんがなくなった。
現代の医学は精神作用の部分を忘れているのではないか?