夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

池袋暴走事故

2019年04月26日 14時25分13秒 | 日記

老人の暴走事故にプリウスが関わっている事例が多い、とのことで先ほどyoutubeでどなたかが解説されていた。

・・ははん、なるほど! と閃いた。ご老体(オマエもじゃないか!)が慣れ親しんだ車は【体が自然に動いて車を操作】できるようになっていた。人が一旦体に刷り込んだ事は忘れない。いい例が水泳、自転車。

ところがこのプリウスと言う車、【今、車がどういう状態にあるか?】は【画面を見なければ】分からない。つまりディジタル世代のコンピュータ・ゲーム マニヤが作った車だ。耳に入るエンジン音、シートを伝わって来る微かな振動、目に映った風景、それらの物が即集合情報化されて直接運動神経を反応させる風にはなっていない。

前進、後進、パーキング、その他車の状態がデジタル画面に小さく出る、それを視認して次の動作を【一瞬考えなければ】ならない。見た途端に体が反応している、体の操作系ではない。その一瞬の内に瞬時の記憶喪失、突然の思考混乱があればオワリだ。

同じ線上に現代のファックス電話やプリンターがある。非常に簡単な事を物凄く回りくどくしてある。多種多様な人間がどのような思考回路でどう操作するか分からないものを勝手に予測してフローチャートか何か作成してそれでジューブン対応できるとして市中に出す、・・・『人間の行動を【予測して管理】出来ると思い込んで』いるメーカーとか称する傲慢な馬鹿ども。

結論・・・アナログ世代はアナログ世代の車に乗るべきで、決してディジタル世代の車に乗ってはならない。いや、それは最早車ではない、移動用コンピュータである。肉体はアナログの領域にある存在だがプリウスはディジタル世界にある。この両世界の狭間は埋められない。


池袋暴走事故

2019年04月26日 08時28分47秒 | 日記

毎度このような事故が起こるとまるで魔女狩りのように事故を起こした人を口撃の血祭に挙げて溜飲を下げる面々が居るようだ。部下の過失を詰るうすらバカ上司に似ている。そこから何も先に進まないし、何か足しになるような処理も出て来ない。

要はクルマなる物を沢山売って【外貨を稼ぐ企業なるものが正義】の世界になってしまっているのだ。

拙宅周辺は河岸段丘に開けた田圃が廃棄される前に宅地に転用された住宅街で、細道急坂離合面倒と言う特性があって歩くと心筋梗塞、車だと坂道発進だの幅寄せだのうるさいところだ。近所に80歳を超えたと思しきご老体が居られる。奥さんは既に施設に入って、そのご老体の一人住まい。脚が弱って両方の手に杖をついてよろけながら歩く姿は見るに堪えない。しかし生活の必要からオートマチック車に乗って居られる。仕方がないのだ、最早歩いてこの急坂の上り下りは危険でしかない。車だったら座席に座ったまま玄関先まで行ける。

そういう止むにやまれぬ事情のある人だって居る。スーパーにネットで注文して届けて貰えばいいじゃないか、との論は『パンがないならお菓子を食べればいいじゃないの』と言った(かどうかはワカラナイ)マリー・アントワネット モードだ。そういう地政学的な(大げさ)理由で私も亦次回の免許更新時は80歳オーバーだが多分免許証返納などと言う事はしない。

見給え、私のような紳士でさえ自分の事となるとこうなんだ。そこを【そのような事故の起こり得ない仕組み】を考えよ、但し【カネを稼いでくるカイシャなるものはダイジニスルンダ!】とならばやることは一つ、【免許証を買い上げ】たらいい。晩節を穢すかもしれぬ相棒と外出するよりはマシだと思う。

・・・ああ、もう一度あのair cool FLAT-4、出来得ればair cool FLAT-6に乗ってヘヤピン急坂をぶっ飛ばして見たい。背中で唸るエンジン音、オイルの焼ける微かな匂い、絶え間なく動く回転計、バキュームゲージの針の揺れ、右足親指で微妙に調節するアクセルペダル、瞬間の燃焼!


池袋暴走事故:造船設計屋の感想

2019年04月26日 06時48分59秒 | 日記

昔、朝の工程会議で設計部長が部下の失敗、【後戻り修正工事・・図面の間違いによって発生した誤作、その撤去と再工事】について同部下を延々説教した。造船設計は多種多様な情報を整合させつつ進めねばならない作業なのでそのような事態は頻発する。相当熟練しないと、ある朝突然、現場から電話が入り、【冷水を浴びせられたような衝撃的事実とそれに続く焦燥的事後処理奔走】に苛まれる事が起こる。相当に強靭な精神力を持ち合わせないと耐えきれぬ仕事である。

聞いていてうんざりした私は言った・・・『事が起こってから説教垂れるのは誰にも出来る。そのような失敗が起こらないような仕事の流れ、仕組み、を考えるのがあなたがた高級管理職の本来やるべき仕事ではないのか?後から延々と説教など屁のツッパリにもならん』・・・『(さあて、反応はどうかな?)』一座は水を打ったように白けた。ざまあみろ年功昇進無能部長!

しかしこれは私の設計技術者としての全期間を通じての【いつも念頭にあった事柄】である。作った物が壊れるとすれば【人が死んだり怪我したりしない為には何処から壊れ始めるようにすべきか?】【誤操作、誤動作を起こさせないように人体の動きと工作物の位置関係はどうすべきか?】等々。

池袋暴走事故について、事故を起こした人物を責める記事を見るとウンザリする。操作していた機械、ここでは自動車だが、その構造上の何かに原因があるのではないか?と言う意見を見ない。

有体に言えば現代のオートマチック車、ハイブリッド・カーに疑念を持って居る。オートマチック車の場合、誤操作は誤動作に繋がる。PL法(製造物責任法)の対象だと思っている。昔ながらのトランスミッションがありクラッチペダル、シフトレバーのある車であれば誤操作はエンジンストールで終わる。(だから私はどんなに便利でもオートマチック車には乗らない)。また最近の半分電気推進の車はすぐ後ろに迫っていても音がしない、びっくり仰天する。

昔通り、それなりの音が出て、ヘタクソは運転出来ない車に戻すべきである。

だが、おそらく政府も車両製造者もこの点については押し黙ったままだろう。何故なら【金儲けが人命より重要】だから。

この事故、同様の暴走事故は現代人の【人命軽視利便効率至上拝金主義の本音を白状】している。同時にモータースポーツと言う【野性】を若者から奪った。