夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

人の本来の役割

2019年04月24日 10時32分04秒 | 日記

神さんは何故人類を創ったか? この、言う事を素直に聴かない、反逆ばかりする厄介な生き物を造らなければよかったではないか?

察するに神さんは宇宙に一つ、極めて美しい作品を作り、それを楽しみたかった。だから創造の結果を見て『甚だ好かりき』と感想が書いてある。

宇宙立公園管理人をそこに置こう、と言うわけで第六日に人類を創った。

昔、上野動物園の園長に『何故人は動物園を作るのか?』と聞いた人があったらしい。園長答えるに『どうやら人間には動物を可愛がって楽しむ性質があるようです』・・・よーく目を凝らして、よーく冷静に、眺めてみたまえ、犬を曳いて歩く男性、猫を撫で可愛がる女性、或はその反対・・・半分滑稽で半分微笑ましいから。

人間にはもう一つの説明し難い性質がある。ガーデニング、園芸と言うものである。これは時によっては重労働でもある。しかしやっている人は【喜んで、楽しんで】やっている。

思うにこの二つが人類の本来課された役割だった。人類が宇宙立公園の管理人と言う位置に戻る日は多分近い。【剣を打ち換えて鋤と成し、槍を打ち換えて刈込鋏とする】日が近いだろう。


死後の世界

2019年04月24日 10時17分35秒 | 日記

私はそんなもの信じない。実証も論証も出来ない事を信じるほどお人よしではないので。

だが、聖書に書いてあることは信じる。理由は簡単、人類史を見れば聖書の予告通りに動いて来ている、即ち聖書の著者【神さん】は嘘つきではない。

その神さんは人が死んだらどうなると言っているかと言えば・・・『行けダニエルよ、あなたは(人生を)進んで休みに入り、先祖と共に眠る。(しかし)日の終わりに至って、【立ってあなたの分を享ける】』即ち復活の予告約束である。

天国なんてものはない。創世記にはエデンなるところに人類の祖先が居た、と書いてある。而してそのエデンがどんなところであったか読んで見ればまさに我々が思う天国である。そのエデンは何処にあったか?そこから四つの川が流れ出ていた、と書かれている。ハビラ、ピソン、ヒデケル、ユフラテ。ユフラテの名は今でも残っているではないか。つまり地上にあった。

宗教なるものは騙しである。

 


結婚すべきかしなくていいか

2019年04月24日 05時01分11秒 | 日記

結論が先になるが、私はすべきだと思う。

理由・・それが創世の神、人類をこの地上に住まわせた神の決めたことだから。その取り決めを尊重するのが実りある、つまり人としての向上に資すると思うからである。たとえ喧嘩をして暮らしたとしても。ソクラテスを見よ!悪妻チッポラに苛め抜かれて大哲学者になった。モーツアルトの妻も悪妻であったとか、だから彼はあのような大作曲家になった。日本陸軍の創始者、大村益次郎はほんの目先しか考えない悪妻に毒付かれながら大業を成し遂げたとか?彼に妻が居なかったら大きな夢は果たせなかった、果たす原動力が湧かなかったかもしれない。

神は塵から人を造り命の息を吹き入れてアダムと名付けた。アダムは色々な生き物を見たが自分とは違う何かだと思っていた。『人が一人で居るのは好くない』と神はアダムを深く眠らせ、あばら骨を取って女を造りアダムの前に連れて来た。『これこそ我が骨の骨、肉の肉なれ!』と彼は言った。その意味は・・それまでに見た他の生き物とは違う、私と同類の生き物だ!との感激と、もう少し突っ込んで、【似たような行動をするな】との親近感があったのだろう。

どうして人が一人で居るのが【よくない】のか私にはよく分からない。小人閑居して不善を成す、からか?そういう意味で一人で居るのはよくない、との意味ではなかろう。が、人類創世の神がそう仰るならそうなのだろう。賢しらに反論するのは造られた生き物の分際で不遜である。自分自身の経験からすればもし独身のまま居たら、我儘なピーターパンで終わっていただろう。男子は妻を得て、その人生に責任を持って初めてオトコになる。

あばら骨から女を造る、人の分身を作る、ことは生物学的にはないだろう。だからそれは象徴的表現だろうが男と女は相互補完的な関係にあり、多分、精神や性向もそうなっている。またあばら骨から、との表現から考えると、例えば日本人の分身がアフリカとか欧州とかどこか遠い処に出現するとは思えない、近い地域内であろう。昔は隣村からとか同業者の子女とかが配偶者になった。多分これが自然・・神の摂理に沿った在り方だったと思う。

こう言った本来無意識で当たり前のように行っていた事柄にいちいち議を言う風潮は誰が持ち込んだのか?偉そうに屁理屈を弄ぶ進歩的文化人だの意識高い系社会人などと称する輩が健全な人類社会を破壊したいナニモノかに憑依されて得々として愚論を開陳する現代社会はまさに末の世、人類社会の終焉が近い。

今の人類社会が終わった後、男と女の関係はどうなるか?はイエスさんの言葉から薄々分るし、創世記の記述からも洞察できる。・・・産めよ増えよの必要はなくなる。多分家庭なるものもなくなる。しかし別の形態の人と人の関係が登場するかもしれない、例えば趣味を同じくする集団とか、美術や音楽で親しい人々とか・・・。

 


選挙

2019年04月24日 04時49分56秒 | 日記

今回の地方選挙を見ていて、直観・・・・政治が軽く安っぽくなった。こぶしをかざして息んでみせるチンケなパフォーマンスポスターの白々しサ。【ミーハーのミーハーによるミーハーのためのセージ】になった。中味がない言葉の遊び。

多分、創世の神の力と栄光を明らかにする為の政(まつりごと)のテーブルから落ちるパン屑を人類が頂戴する日が近いのだろう。